鎌倉からちょっと離れて、京浜急行の終点・三崎口駅に集合です。
今回の行程は図らずも同じメンバーで2日間となったのですが、本当は最初、1日目の鎌倉散策のみでした。
・・・が、たまたまメンバーのうちの岡田さんさとみんさんと一緒に飲みに行ったときに、そのタイミングで私が「鎌倉散策」の次の日に「道寸祭り」が行われるのを見つけてしまったという (^^;)
「道寸祭り」というのは、鎌倉以来坂東武門の名族である三浦一族をしのぶ供養際とともに、三浦一族のお家芸として伝えられてきた「笠懸」が披露されるお祭りです。
そして、「道寸祭り」の会場となる油壺の名前は、三浦一族が滅亡の際に湾に実を投げて、その血潮がまるで油のようであったという伝説に由来しているように、この会場の一帯には三浦一族の本拠であった新井城の城跡があります。
この新井城、主な遺構は東大臨海実験所の中にあって、普段はほとんど見ることができないのですが、年に一度この「道寸祭り」のときにだけ一般開放するという情報が・・・
後北条氏好きな私としては、関連するこの新井城ぜひ行きたい~!とごねていたら、岡田さんも「笠懸」が見れるのはなかなかないので、ぜひ行きたい!とのこと。
すったもんだしたあげく、1日目鎌倉2日目「道寸祭り」&新井城一般公開の計」2日間のツアーとなりまして、その2日目。
集合場所に、岡田さんが来ない・・・?
実は岡田さん、1日目が終わった後体調を崩されて、結局この日は残念ながら最後まで合流できず。この日は3人で散策&笠懸観覧をすることに。
三崎口駅からバスに乗って15~20分ほど、終点の「油壺」で降りて東大臨海研究所の脇から海に向かって降りたところにある荒井浜海岸が「笠懸」の会場です。
まずは1つ目のお目当て、新井城の一般公開を見た後(そちらの詳細は、後日また別の城ブログで)、砂浜に設置された会場に陣取って、いよいよ「笠懸」の開始です。
この地での「笠懸」は、源頼朝が三浦三崎遊覧の際に笠懸が催されたことや、三浦一族が弓上手として知られており「笠懸」が三浦一族のお家芸として伝えられていることにちなんで、昭和54年に恒例行事として復活させ、三浦一族の鎮魂際とともに催されているものということです。
この日は1組5人で2組、合計10人で競射します。
よくよく見ると、三浦一族の供養際なのに、なぜか幔幕も旗もみな武田菱・・・?
実はここで笠懸を披露しているのは、鎌倉に所在している武田流弓馬道の大日本弓馬会の方々なのだそうです。
武田流というのは小笠原流と同じく、弓馬軍礼故実を伝える流派で、清和天皇皇子の貞純親王を起源として清和源氏から安芸武田氏~若狭武田氏と伝えられ、若狭武田氏の滅亡とともに姻戚の細川幽斎に伝授され、家臣の竹原家により熊本で保存されたのだそうです。
海を背景にしての古式にのっとった装束での騎乗は、往時をめちゃめちゃ妄想させます・・・!
お披露目が終わったら、籤で笠懸の順番と馬を決めて、いよいよ笠懸本番です。
まずは、海に沿って弓なりになった馬場に2ヶ所置かれた的を走りながら射ます。
1組5人騎射が終わった後、今度はまた一番手から逆走して「小笠懸」を行います。
しかも右側と左側に1ヶ所ずつ置かれているので、射手から見ると足元に見えるような的に対し、馬の頭を越えて長い弓を捌かないといけないわけで、非常に難しくて高い技術を要求されるとのことです。
この会場は、あまりお祭り自体を知られていないせいなのか、本当に馬が疾走している間近で見ることができるので、すごい迫力で笠懸を見ることが出来ます。
なので、素人の私でもスマホでなかなかいいアングルの写真が撮れました。
道理で、バズーカ砲みたいなレンズのカメラを担いだおじさんが大勢来てるわけだ・・・(^^;)
撮った写真をセレクトしておいてみましたが、この迫力はなかなか伝わらないので、動画もおいて見ます。見れるかな・・・?
うぅ~、めちゃくちゃカッコいい!
自分でもやりたくなっちゃう・・・でも、そんな簡単にできるもんじゃないんでしょうね~☆
この後、2組目も競射し、上位5名による競射を再度行って順位付けをして、この日の笠懸は無事終了。
生まれて初めて見た笠懸、めちゃくちゃ感動&堪能しました~♪
帰り道、バスを待っていたら出演の終わった馬さんたちが帰るところに出くわしました。
装束を取ったらフツーのお馬さんたちです(笑)
大変だったろうな・・・お疲れ様でした!