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2015年4月23日

城・ゆる鉄部結成? 鉄道道居酒屋、初体験☆



どうも、城好きさんには鉄分たっぷり(鉄道好き)な方も多い・・・らしい。

・・・と思っていたら、昨年の夏に開催した「江戸城外堀船めぐり」ツアーで、城好きの最前線?ともいうべき方々が、実は外堀(日本橋川)に残された江戸城の石垣よりも、神田川にかかっている鉄橋や橋脚に狂喜乱舞している姿を目の当たりにしてしまった!

その後もその時のメンバーに何度か各所でお会いしているうちに、「鉄道バーとかに行ってみたいね」という話が盛り上がりまして。

今回、城メグリストことお城ライターの萩原さちこさんにお店を選んでいただき、お声かけくださって城・ゆる鉄部結成飲み会実現!

今回の会場は秋葉原の「鉄道居酒屋 Little TGV」。

歩行者天国が開催される中央通りから脇に入った、ちょっと地味な感じの路地にあります。

小さな雑居ビルの、これまた4人しか小さなエレベーターに乗って4階で降りると、さっそくボックスシートとスイカペンギンがお出迎え!





まず入り口で乗車券が渡されて、お店のルールを教えてもらいます。
乗車券は席料500円分。後で検札に来るそうです(笑)

店内に入ると、壁際の席はすべてボックスシート!

所狭しといろんな鉄道グッズや写真が飾られてます。私たちの座席の脇にも合図灯やタブレットが飾られていて、いやがおうにも気分が盛り上がってきます♪

よく見ると、地下鉄丸ノ内線の路線案内図(電車の扉上に貼ってあるやつ)が飾ってある(笑)





ひとしきりわいわいと、飾られているものを話題に盛り上がったところで、総勢6人、まずは生ビールでかんぱ~い!

・・・と思ったら、「合図が違う」のだそうで、乾杯はお店の「車掌さん」の「出発!」に合わせてみんなで「進行~!」


コースターもお箸袋も、もちろん電車にちなんでるし、お通しもちゃんと動輪です☆





写真のカクテルは、左が中央線、右が西武鉄道。
一応、それぞれの車両にちなんだ色だということですが・・・う~ん、そう言われてみればそうなのかな?

名前は丸ノ内線とか中央線とかといった路線名で統一なのかと思ったら、なぜか私鉄は鉄道会社名☆

おつまみメニューも路線図にのせて・・・
「わたしの家はエイヒレまではいかないな~」とさがしている城ガール隊関東支部長さとみんさん(笑)




わいわいと盛り上がっていたら、「車掌さん」が「帽子もお貸ししますよ~!」

で、それぞれ帽子をかぶって撮影大会。
左からナワバリスト西股先生、旗本のお殿様・岡田さん、イラストレーターの樋口さん。みんなめっちゃうれしそうなんですけど!




樋口さんなんて、職業間違えてるんじゃないですか~?って思うくらい、機関士になりきっちゃってる(笑)

あ、写真公開についてはご本人たちの了承を得ております☆






城メグリスト萩原さんも、すごく楽しそう♪

そして、このメンバーって実は歴史・城郭関係では結構すごい!

ワタシからすると「雲の上」な方々ばかりで、城・ゆる鉄部結成飲み会とは言いながらも、さぞや歴史やお城の話で盛り上がるかと思いきや・・・

話題は最初から最後まで、城抜き「鉄」オンリー(^^;)

まあ、出てくるお料理もこれですからね~!





「車掌さん」がわざわざ他のお料理をどけて、テーブルの上にスペースを作ったので何事かと思ったら、さいころステーキの「石炭」。

ちゃんと火を入れてくれて、機関車も登場しました。

あ、「車掌さん」の制服もアキバっぽくてよいですね☆


おにぎりは新幹線のカタチ。レールは海苔で作られてます。芸が細かい!





・・・「車掌さん」がテーブルの上で海苔の窓をつけてくれて、完成です☆


感動的だったのかデザート!
赤いのは秋田新幹線「こまち」などのE-6系、青いのは北陸新幹線「はくたか」とかのE-7系・・・だと思われ。





お皿に一台で乗っているのは東北新幹線のE-5系(はやぶさ・やまびこなど)だよね?

もう、カワイすぎて食べるのがもったいない!けど食べてしまった(^^;)
チーズケーキでした。美味しかった☆

そんなこんなで城・ゆる鉄部結成飲み会は、ゆるーく「鉄分100%」で次回鉄道CAFEでの開催を約してお開きとなりました。

「城」な皆さま方の、また違った側面が見られて楽しい夜でございました!


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2015年3月29日

西股先生のトークショー@神保町


いつも大変お世話になっているナワバリスト・中世城郭研究家の西股総生先生が、この度戎光祥出版から「神奈川中世城郭図鑑」という、神奈川にある中世の「土の城」を網羅した本を出版されました~!

ということで、神保町の書泉グランデにてトークショー&サイン会を開催するので「ぜひお出でください&皆さんにお声がけください」という丁重なるお誘いを頂戴いたしまして、(どっちかというと後半の方がメインか・・・笑)、さっそくフォロワーさんと誘い合って出かけることにしました。





さて、会場の書泉グランデ7Fイベントスペースに行ってみると・・・30~40人くらい入れる会場の最前列はどこかで見た顔ばかりwww

いつもおなじみの城好きフォロワーさんが結構来ている上に、後ろの方には城フェスを主宰している「かみゆ」編集部の方々や歴☆女子会のみゆさん、なんと城メグリストの萩原さちこさんまでいらしてる~(@口@)!

これには登壇された西股先生も苦笑い。

というのも、実は先生と戎光祥出版の方々はトークのあとにクイズを用意していたらしいのですが、「この顔ぶれじゃ、簡単すぎて馬鹿にしてると言われちゃうね~☆」

いやいや、そんなことはありません~!と会場がほぐれたところでトーク始まり始まり。。。





まず、なぜ「神奈川中世城郭図鑑」を書こうと思ったか?から始まって、実際に城を歩くときに参考になるような内容を心がけたなどという話の中に、さりげな~く以前に出版した萩原さんとの共著「山城へGO!」のPRなんかも織り交ぜながら(笑)話は進んでいきました。

そして、レジメとともに気前よく(!)配られた8枚もの先生が描かれた縄張図!!(茅ヶ崎城、仲山城、小松城、柏原城、岡崎城、屏風山塁・・・津久井城に滝山城まである☆)

この縄張図を見ながら関東の城の魅力について語っていただきました。

その中でココロに残ったのは、関東は土の城が極限まで発達した地域なので縄張りが面白いのだというところ。

関東は近畿よりも50年先に戦国時代が始まっていることにより、戦いの中で発達してきた城が多いこと。そして、関東の城が近畿の城やその後の近世の城に発展したわけではなく、むしろ城の進化の中では別の系統の袋小路にあるので、それが多様性となっていて面白いのだということ。

そして~

「城から垣間見える関東戦国史の魅力」ということで、実は天正18年(1590年)の豊臣軍の小田原攻めのときに、後北条側には箱根決戦構想があったのではないか?という説をご披露!

これは「神奈川中世城郭図鑑」の中でも「屏風山塁」の項で触れられているのですが、天正18(1590)年の小田原攻め間近な時期に、北条氏直が屏風山に視察に来ているという史料があるのだとのこと。

このような時期にわざわざ視察するということは、後北条氏側には屏風山を指揮所として豊臣軍主力に対するための何らかの決戦構想があったのだけれど、箱根路の防衛線である山中城が予想外の短時間で突破されてしまったために、実際には構想が実現しなかったのではないか・・・というものです。

確かに・・・

後北条氏は天正15年ごろから対豊臣戦に備えて、大動員体制を敷いて各地の拠点城郭の改修・増強を行ったりしていたにもかかわらず、小田原攻めの時には八王子城の氏照や鉢形城の氏邦、「のぼうの城」忍城の成田氏など、各城の主力が小田原城に終結してしまって、北関東方面の守備が手薄?になってしまっていたのも、この決戦構想があったから・・・と考えるほうが納得がいきます。

・・・というか、少なくとも、いわゆる「小田原評定」籠城のための集結というよりは、後北条贔屓のワタシにとってはとっても魅力的な説でありまする♪

これは、ぜひぜひ屏風山塁がどんな位置に所在するのか、実際に行って見なくては・・・!



楽しいトークはあっという間に終盤を迎え、ショーの最後には、先生が「一応」ご用意いただいていたクイズ大会。

賞品はなんと先生ご秘蔵(というかナイショ?)の、とある資料本2冊と、なぜか?ぬれせんべい(笑)

そして、その資料本はすでに発行元にもないという「まぼろしの」東国の図面集!

城好きの精鋭が集まっていた上に、さらにその本のおかげで参加者に気合が入ったと見えて、案の定、「不正解は離脱」ルールで最後まで残った方が多く、最終的にはじゃんけんで勝者決定☆

なんと、フォロワーのさとみんさんがぬれせんべいを、豪士さんが本を、ゲット♪

そしてトークショー終了後、恒例のサイン会も終わり、先生をこそっとお誘いしてフォロワーさんみんなでお疲れ様会。
かんぱーい!

(あ、先生のお写真はご本人の了解を得て公開しております☆)

2015年2月11日

城山砦と鎧展に行ってきました ~伊澤昭二コレクションを中心に~

狭山市立博物館は、「埼玉県のお茶香る町」狭山市の「県営狭山稲荷山公園」の中にあります。

西武池袋線稲荷山公園駅のすぐそばにあって、普段は常設展示で狭山の太古から近現代までの歴史的資料を展示している、いわば「郷土資料館」的な施設です。

で、常設展示のほかに年に2~3回企画展を開催していて、これまでは恐竜だったり鉄道だったり文明開化だったりと、戦国時代とか「城」に関連したような企画展は見当たらなかったのですが・・・






今年に入ってからTwitterのTLに流れてきたツイで、11/29~3/1の冬季企画展として「城山砦と鎧展」というのが開催されていて、特に鎧の展示がなかなか充実していてよかった♪というのを見かけまして。

これは行ってみようかな~と思いつつ、自宅から近く(隣町)だし、いつでも行けると思って行くのを延ばし延ばしにしていたのですが、やっと買い物ついでに行ってみることにしました(^o^;)

で、車をとばして40分ほど。企画展・常設展示共用で150円の入館料を払って展示室の中に入りますと、まず一階では城山砦の展示。

そして2階の企画展示室に城山砦の展示と、お目当ての「なかなか充実していた」という「鎧展」の展示があります♪

城山砦の展示については、「お城ネタ」なのでワタシのもうひとつのブログ(natchdesの城攻め備忘録)の方に記事をあげるとしまして・・・




まず、胴の前面にでかでかと三鱗紋が朱漆で描かれている具足を見つけて、いきなりテンションあがった~!

いや、三鱗紋が単純なせいなのか、それとも小田原北条氏ってあまりかっこいいってイメージがないからなのか、悲しいことに小田原北条氏関連のグッズってどこに行ってもほとんど見かけないし、展示ってあまり見かけないもんで・・・

この、うれしいほどデカデカと三鱗紋を描いてくれている仏胴は「和紙製黒漆塗二枚仏胴」といいまして、小田原北条氏家中で使われていたもののようです。

・・・あ、写真については、展示室内に「写真撮影禁止」の張り紙がなかったので、あれ?と思って念のため博物館の職員さんに声をかけまして、撮影とブログ掲載について「商業目的でなければOK」の了承を得てます~!

ちなみに常設展示の方には「撮影禁止」の張り紙があります。一般的には制限が厳しい企画展の方がここでは制限が緩いのは、図録がないからなんでしょうかね~☆



この「鎧展」に展示されている具足等は、狭山市在住で甲冑の収集・研究をされている伊澤昭二氏が所有しているものだそうで、今までも全国各地で公開されているようです。

今回の企画展では、パンフレット等では城山砦(柏原城)が主で、この伊澤氏コレクションは「戦国時代の合戦の様に思いをはせていただきます」とさらっと触れているだけで、どうにも「城山砦」展示とリンクがされていないのが、なんともとってつけたようで変な感じです。

「城山砦」は俗に「河越夜戦」と呼ばれている、天文15年(1546年)の北条氏康軍と山内北条憲政・扇谷上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍による河越城争奪戦の際に、上杉憲政が陣を敷いたといわれています。

実際に展示されているのは結構小田原北条氏関連のものもあったりしたので、もっと双方をリンクしたような展示にすると、北条好きはもっと妄想を掻きたてられてよだれがダラダラ・・・なのにな~☆


たとえばこれは、伝・伊勢新九郎長氏(北条早雲)所用の黒漆塗軍配(写し)。

伊豆木負(静岡県沼津市)の飴玉白珠比咩命神社に伝わるものの写しですが、竹製の柄に練り皮を6枚合わせて麻布を張って黒漆で仕上げられた、とてもシンプルかつコンパクトな軍配で、早雲おじいちゃまはとても質素だったんだろうな~と妄想がむくむく・・・なお品です。

この造り方は、次の伝・北条氏康どの所用の黒漆塗日月軍配と同じです。

ただし、氏康どのの軍配はもうちょっとだけ羽が大きくて、片面に日輪、もう片面に月輪を金箔で大きく押してあって、派手やかな印象。






隣には同じく氏康どの所用の鉄地黒漆塗十二間筋兜。
吹返の据紋や鉢付鋲に北条家定紋の三鱗紋がついてる~!!ワクワクw(☆o☆)w

お次は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に、支城の鉢形城や八王子城の兵士(在地小土豪)たちが着料して戦ったという、関東五枚胴です。

ただし、現存しているものは極めて少なくて、たった3領しかないとのこと。

展示されているものは、胸板が広く腰がきゅっと締まったちょっとマッチョ系のスタイルの胴に、赤漆塗りの皺皮がとても美しい草摺がついています。





そして、河内狭山藩北条氏3代目氏信の頃に作られたと考えられている、鉄地黒漆塗五枚胴。
関東五枚胴よりも時代が下がっているせいか、胴の形もすいぶん変わってずんぐりむっくりな印象です(^o^;)

そして、よくよく見ると前側に鉄砲の試し撃ちの跡が2ヶ所、ぺこぺこっと凹んでるし・・・☆


また、小田原北条氏関連以外にも、意外な?甲冑が展示されていました。





伝・森蘭丸所用の金箔押色々縅伊予札胴丸具足と網代製軍配団扇。
近江の豪商伴伝兵衛家に代々伝えられたもので、具足櫃の正面や軍配の箱書きに「森蘭丸公御召」の旨記載がある・・・のですが。

一般的には「森蘭丸」として知られていますが、「信長公記」では「森乱」、その他の文献でも「森乱法師」「森乱成利」とされているようなので、この具足と軍配について実際にはどうなのか、よくわかりません☆


その他にも伝・上杉景勝所用の鉄地黒漆塗縦矧二枚胴具足(座り方がカワイイ!)や、武田信玄・勝頼2代に仕えて武田の赤備えとして勇名を馳せた小幡信貞所用と伝えられる黒漆塗二枚仏胴具足とか。。。





秀吉の小田原攻めの時に用いられたという九鬼水軍の「あら波」の旗印(伝・九鬼嘉隆)があったのには、かなりびっくり!


他にも伝・小幡信貞所用の軍配や赤羅紗の陣羽織、伝・稲葉貞通所用の筋兜、伝・豊臣秀吉所用の背中にどどーんと桐紋が描かれた白羅紗の陣羽織なんかが展示されています。

また、いろいろな合印の足軽具足がところ狭しと並べられていて、なかなかににぎやかです。

企画展の展示室はたった1部屋だけなのですが、ぎゅぎゅっと濃縮された展示で、しかも他のお客は全くなくてほぼ貸しきり状態。

ゆ~ったりとま~ったりと時間を忘れて展示にへばりついておりました。

本当に小田原北条氏好き、甲冑好きには堪えられない展示でしたね~!

企画展展示期間終了の3/3までまだあと1ヶ月。また来れるかな?



2014年11月3日

秩父札所めぐり3日目(第26番~第34番で満願!)

9月に一気に1番~25番の札所を回ったものの、その後行くヒマがなくて続きに行かずに放置してしまっていた秩父札所の午歳総開帳めぐり。

ご開帳期間は3月1日~11月18日なんだけど、ふと気がついたらもう終了が目前じゃないか~!!!

やおらお尻に火がついてしまったので、あわてて久しぶりに札所めぐり再開です(^^;)


<第26番 萬松山 円融寺(岩井堂)>

円融寺は秩父鉄道影森駅からほど近い山すそにあって、こちらで恵心僧都の作といわれるご本尊の聖観音像にお参りすることができます。

この観音像は、もとは円融寺奥の院の観音堂「岩井堂」に安置されていたものを、麓の円融寺に移したのだそうです。

だから、江戸時代の巡礼道もそこまで通っているとのこと。これは奥の院までちゃんと行かなきゃですね~!





円融寺を出て山沿いの道を左手方向に(あちこちに案内板があるのでその通りに)進んでいきます。これもすでに巡礼道の一部。くねくねうねって続いていく風情にどことなく古道っぽさが残っていて、とてもご機嫌な道です♪





そのまま進んでいくと、道はやがて昭和電工の秩父工場に入って行きます。
奥の院まで行く人が多いのか、親切に、工場の前に「奥の院へお出掛けの方は工場構内をお通りください」と書いた看板をかけていただいてます。

・・・が、はっきりいって工場のゲートを通るときの守衛さんたちの視線に、ちょっとビビります(笑)

構内に入ってまっすぐ行くと、やがて琴平神社が見えてきます。
巡礼道は、この琴平神社の右脇をまっすぐ山に登っていきます。





巡礼道の傍らには道しるべ石。元禄~宝永の頃に建てられたもので、秩父札所をつなぐ江戸巡礼古道のところどころで道を示しています。

そして、道はいよいよ山道に。

朝一番(といっても8時半くらい)に登ったので、こんな神々しい木漏れ日に迎えられました!
神域ならではの厳かさです。。。





そして、朝っぱらからいきなりキツイわぁ~☆という石段をせっせと登り切ったその先に・・・




見事な懸崖作りのお堂が、ば~ん!
京都の清水寺を模したともいわれる観音堂(岩井堂)の舞台です。

江戸中期の建築で、回廊つきの三間四面のお堂がしっかりと岩場の斜面に組み込まれています。
だから、お堂の背面はそそり立つ岩場。そして背後の岩壁とお堂の間には石仏さんたちが並んでいます。





お堂の舞台に立つと周囲の景色が一望の下・・・と言いたかったのですが、杉の木立に阻まれて眺望はいまひとつかな。。。

でも本当に山の「気」が清々しくて気持ちよかったです。
そのせいか女性が数人、舞台で太極拳かなにかの気合?を発しながら朝日を浴びていました☆





ご朱印は岩井堂ではなくて、円融寺の方でいただけます。




<第27番 龍河山 大淵寺(月影堂)>

岩井堂から「琴平ハイキングコース」を尾根伝いにたどっていくと、やがて大きな岩にちいさな案内?が貼り付けられているのに出くわします。

「この岩場をのぼる」???

傍らをみると岩をよじ登れるように鎖がさがっている!

で、首をかしげながらも岩をよじのぼっていくと・・・



 


大きな観音様がいらっしゃった~!

これは、大船と高崎の観音様とあわせて「関東の三大観音」として親しまれているという、麓の第27番札所大淵寺所有の護国観音像。

岩井堂からの尾根のピークのひとつにあって、ここからは秩父盆地から荒川沿いにさかのぼった影森(卒業ソング「旅立ちの日に」のふるさと)あたりの景色が一望の下に見渡せます。




よくよくみると、右の方に見えるのは札所めぐり1日目の記事でも触れた、秩父公園橋か?!

そして、この観音様の足元からひょい!と下を見ると、麓の大淵寺のお堂の屋根が・・・




もともと、大淵寺の聖観音像はこの護国観音像のあたりにあったというお堂に納められていたのだそうです。

月影清らな場所にあるということから「月影堂」という名のついたこのお堂は、江戸末期に大淵寺の境内に移ったということで、一気に麓におりてお参りです☆

境内から見上げる護国観音像。はるか上の方~♪





大淵寺の境内には、年間渇水することのない自然の湧き水で、この水を飲むと33ヶ月長生きすると言い伝えられている「観音菩薩恵みの延命水」も流れ出ています。

うーん、33ヶ月かぁ・・・(^^;)





ちなみに、大淵寺の山門前には、江戸時代の上影森村の名主が私財を投げ打って作ったという「影森用水」の跡も残っています。

村内に井戸が2ヶ所しかなく飲料水にも困っていたのが、この用水のおかげで作物を作るにも非常に恩恵を受けたという影森用水。

この溝がそれらしいのですが・・・はて☆





そして、第27番大淵寺のご朱印と蓮華シールがこれ。総開帳の判はお堂の名前にちなんで「月影」ですね~♪




<第28番 石龍山 橋立堂>


さて、27番大淵寺の前の道の傍らを見ると、古い巡礼道の道しるべ。

この道しるべをたどって1.5kmほど行くと、第28番橋立堂にたどり着くことが出来ます。






橋立堂の背後にそびえる岩壁は、石灰岩採石で有名な武甲山からの尾根続きになります。

ということは、この岩壁も石灰石。
県の天然記念物にもなっている橋立鍾乳洞は橋立堂の庫裏の脇から入るようになっていて、そちら目当ての観光客も結構訪れているようです。

何を隠そう、ワタクシめも実は小学生の頃に遠足やキャンプで何回も鍾乳洞に来ているという☆




観光客が多いせいか、久しぶりに来たな~と思っていたら、境内に新しくおしゃれなコーヒー専門店が増えている~!

ついついコーヒーの香りに惹かれて(ちょうどひとやすみしたい頃合でしたし~☆)入ってみると、靴を脱いで上がる「小上がり」の席の方が多いスタイル。

たまたま履いていたのがトレッキングシューズで、脱ぐのが面倒だったので、お店外の席でこのお店イチオシのスペシャルティコーヒー「淡雪」をいただくことにしました。

これが「淡雪」。グラスの氷の上に乗ったかき氷にメープルシロップとスペシャルティコーヒーを順番に注いで、かき氷とアイスコーヒーを一度に味わうスタイルです。






時間はそんなに余裕ないのに、結構またーりとコーヒーを楽しんでしまいました。
コーヒー自体も美味しいお店でした。

というわけで、第28番橋立堂のご朱印と蓮華シールはこちら。

秩父・西国・坂東の百観音霊場のうち馬頭観音がご本尊なのはここともう一ヶ所ということもあって、総開帳の判は馬でした~!

午年総開帳ですしね♪



<第29番 笹戸山 長泉院(石札堂)>

秩父鉄道浦山口駅から札所第29番石札堂までは、巡礼古道が道端の石仏ともども風情を残しつつ続いています。

そんな古道の傍らに残る古い道しるべ。

「ひだり二十九番」と書いてある裏側に「みぎ二十九番」と書いてあって笑。





このお寺の参道入り口にある枝垂桜は花の時期にはとても見事だそうです。





このお寺の境内はとても綺麗な庭園に整備されてるのですが、ふと見ると、その境内に置いてある灯篭に葵の御紋が・・・?

あれ?と思って胴のところに刻まれている文字を見ると、「増上寺」の文字。
こんなところにも増上寺の灯篭が来ていたんですね~!





というわけで、第29番石札堂のご朱印と蓮華シール。総開帳の判は山号の「笹戸山」にちなんでるんですね♪



<第30番 瑞龍山 法雲寺>


境内に入ると、ここにも増上寺の灯篭。いったいどのくらいの灯篭がちらばってしまったんだろうなぁ・・・と思いながらお堂にお参りをしようと石段を上がっていきまして・・・






祈願塔にかかっているお手綱で観音様にご縁を結んで、ふと見ると祈願塔に笠がかかってる!
・・・と笠を見ながらそのままお堂の屋根に目を移すと、そこには北条三鱗紋が~!!!

そういえば境内のあちこちに三鱗紋があるけど、なんで?

調べてみたら、この法雲寺も第15番少林寺と同じく臨済宗建長寺派なのですね。
ということは、この三鱗紋は建長寺の寺紋からきているのでしょう。





で、法雲寺のご朱印と蓮華シールです。総開帳の判は・・・なんだろうこれ?



<第31番 鷲窟山 観音院>


観音院は山号を「鷲窟山」というだけあって、標高698mの観音山の中腹に建つ、秩父三十四ヶ所霊場の中で最も難所なお寺です。

この観音寺の奥に日尾城という、秩父における後北条氏の甲斐武田勢に対する第一防衛線として重視された山城があるのですが、今回の目的は城攻めではないのでパスするとして・・・






まずは道路沿いの岩殿沢にかかる橋を渡ると、やたらに仁王様がシースルーな山門が。
この仁王様、実は石造りで、丸彫りの石造り仁王像としては日本最大なのだそうです。

山門をくぐったとたんに、クマーの注意札(><)
やっぱりこの辺りは山の中なので、出るんですね。今年は特に山の木の実が不作らしいですし。。。





そして、札の先には延々と続く石段。

ただし、ところどころに踊り場があるタイプなので一気に直登するタイプの石段を登るよりは、段数があっても楽かも。

石段の脇にはずっと芭蕉の句碑が並んでいるので、何だろう~と見ながら登るのも気が紛れそうです。

そして、ぜーはー言いながら全部で296段の石段を登りきると、そそり立つ岩屋にすぽっと納まった形に建つ観音堂に行き着きます。





そして、観音堂の左側背後には岩屋の崖の上から落ちてくる、高さ60mの聖浄の滝。

この滝には不動明王が祀られていて、明治5年(1872年)の修験道廃止令までは行者たちが水垢離をしていた場所だったそうです。

そして、聖浄の滝の左手の岩壁には、多くの仏像がうっすらと彫られています。




「鷲窟磨崖仏」として県の史跡に指定されている、この十万八千体とも言われるほどの数の石仏群は、弘法大師が一夜で彫りあげたという伝説があって、別名「爪彫り千体仏」とも呼ばれています。



この観音堂を今度は右手に回っていくと、東奥の院の方へと石段がさらに続いています。

登りきったところで、畠山重忠の家臣が矢を射とおしたという岩穴があるよ!という立て札が。
現在地より1km先なんて、どこよ~(怒)といいながら、それでも目で追ってみると・・・






こ、この2つの穴かい・・・フツーそんなところまで矢は飛ばないから!(笑)

と、さらに進むと東奥の院です。そこからは観音山や香塚(芭蕉の句碑)などを見ることができます。

そして、東奥の院の裏手?にくるりと回って降りていくと、「畠山重忠の駒つなぎ場」に出ます。





1日目に回った「日本のエアーズロック」第19番龍石寺の岩盤と同じような岩盤にえぐられた、細長い窪みの中に、石仏がずらりとたくさん並んでいます。

立て札には「ひづめの跡がある」と書いてあったのですが・・・どれがそれやら、さっぱりわかりませんでした☆

だいたい、そもそもこんなところまで畠山重忠が馬に乗ってきたとかって考えられないんだけどな~!とツッコミも入れてみたくなったりして(笑)





第31番観音院のご朱印と蓮華シール。甲午歳総開帳の判は梵鐘のカタチ?
たぶん写真の鐘なんだろうけど、なにかいわくがあるのかどうかは見落としてしまいました(^^;)



<第32番 般若山 法性寺>

ハロウィーンの季節柄のせいか、道路端に大小さまざまなかぼちゃを並べたログハウスを横目に見ながら、第32番法性寺に向いました。





奈良時代に行基が開創したという縁起を持つだけあって、法性寺の山門は二層の堂々たるもの。秩父札所唯一の鐘楼門です。

山号は「般若山」だからか、山門の中では上の方から般若面に見つめられています(^^;)






山門をくぐると、いつの時代のものかはわかりませんが、両脇にしっかりとした石垣のある石段がまっすぐ上に伸びています。

石段を上がりきったところの本堂を参拝してご朱印をいただくと、さらにこんな風情のある苔むした山道の石段をえっちらおっちら登っていくと・・・





やがて頭上に、第26番岩井堂と同じく舞台づくりの観音堂が見えてきます。

でも、結構急な登り坂なので、みんな途中でふうふう言ってたりして(笑)





でも、上まで登りつくと石仏様も優しく出迎えてくださいます♪

懸崖造りのため、祈願塔へのお手綱は舞台からこんな感じでかかっています。
こちらの聖観音様は、お舟に乗って手に櫂を持ったお姿なので「お船観音」と呼ばれています。

これは奥の院に「石舟山」の名を持つ巨岩があって、観音様が舟に乗ってこの地に来たという伝説にもよるのかもしれません。






舞台から眺めると、本堂の屋根がさらに下~!☆

そして観音堂自体は裏手にそびえる岩山の岩盤を削って基壇を作り、すっぽりと納まっているかたちなのでお堂と岩壁の間にちいさなお堂や石仏が祀られています。




この法性寺のいちばんの見どころは、本当はこの写真の岩の裂け目をとおった先にある「奥の院」方面です。

岩窟にならぶ石仏群や頂上の「岩船山」の巨岩とその上の青銅の岩舟観音様、岩窟の中の金銅の大日如来様。そして眺望がすばらしいということです。

・・・が、山道が険しくて危険なため、4時で通行禁止となっていました。
というわけで、今回は到着したのが遅く、行くのを断念。残念無念!!(ToT)

これはまた来なきゃいけませんね~☆






で、第32番法性寺のご朱印と蓮華シール、総開帳の判は観音堂の舞台でした♪



<第33番 延命山 菊水寺>

前2つのお寺がそろって山の上の難所で、思ったより時間がかかってしまったので、そろそろ日暮れが近づいてしまったぞ~!

秩父札所めぐりも終盤になるとお寺とお寺の間の距離もかなりあるので、移動にも時間がかかるし、納経所の閉まる時間に間に合うかな~(><)

というわけで、めぐるスピードに巻きの入ってきた第33番菊水寺。




おや?案に相違して山の中ではない。助かった~!

・・・と、思いきや、めちゃくちゃ車が集中していて、駐車場が満杯で停められないという Orz
どうも同じように札所めぐりをしている人たちが、集中してしまうタイミングだったようで。。。

そして、幕についているご紋は、楠正成と同じ「菊水紋」!?

ものの本によれば、「秩父観音霊験記」に赤坂城落城時に楠正成が一人落ち延びた際、追っ手に見咎められて肘に矢をうけたものの、観音経のおかげで痛みもなくその場を逃れたとあるようですが、この菊水寺との関連はイマイチよくわかりません(><)

境内には市の指定史跡になっている「芭蕉の句碑」もありました。これは芭蕉の没後50周忌を期に、江戸時代中期の国学者・建部綾足が建てたのだそうです。

直接の芭蕉関連ではないみたい・・・





そして、第33番菊水寺のご朱印と蓮華シールです。午歳総開帳の判は、やっぱり菊水紋ですね~☆



<第34番 日沢山 水潜寺>

さて、いよいよ秩父三十四ヶ所観音霊場めぐり、最後の第34番水潜寺です!

が、ここにたどり着いた頃には日もとっぷりと暮れてきました。
とりあえずまずはここまでの道中の無事を感謝しつつ観音堂にお参りして、ご朱印をいただきに納経所にまわると・・・






なんとびっくり!建物の裏手まで続く長蛇の列~☆

秩父札所の納経所は原則どこも5時まで(所によっては11月以降4時まで)なので、最後の札所ということもあって、もともと夕方は混んでるようなのですが、その上60年に一度の甲午年総開帳期間のの終盤にさしかかったということもあって、余計に駆け込み需要?が増えているようです。。。

に、してもご朱印いただくのに優に一時間待ちとは・・・(><+)





まぁ、しかたなく列にならんでご朱印をいただき、再度観音堂に・・・

こちらの観音堂は靴を脱いでお堂に上がってゆっくりお参りすることが出来ます。
もちろん、陣内にまで入ることはできませんが(^^;)

このお寺「水潜寺」の名前の起こりは、観音堂の右手奥にある「水潜りの岩屋」にちなんでいます。

この水潜寺は結願寺なので、巡礼を終えた者は岩屋(鍾乳洞)から湧き出ている清水に足を浸しながら岩屋を潜って身を清める「水潜りの行事」を終えて現世に戻るということなのだそうです。

今は竹垣でさえぎられて岩屋のほうには入れないようになっているようですし、この日はすでに真っ暗で写真さえマトモに撮れませんでした(><)が、水潜りの岩屋から湧き出した「長命水」が境内に引かれていて、お水を受けることが出来ます。





この水潜寺は西国・坂東・秩父の日本百観音結願のお寺でもあります。

境内にあるこちらの小さなお堂は百観音の結願堂。

お堂の舞には「お砂踏み」といわれる、百霊場の砂を一ヶ所に集めた場所があって、その上で伝教大師作と伝えられるご本尊の千手観音と、阿弥陀如来と薬師如来を拝めば、改めて百霊場の功徳が得られる、というものです。





で、最後の第34番水潜寺のご朱印。総開帳の判のほかに「日本百番結願」の判もつきました~!


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終わってみると、なんか達成感よりも気が抜けたというか、もう終わっちゃったんだなという寂しさというか・・・

でも、所々見逃した「見どころポイント」もあるし、巡礼古道も歩きたいし、何より秩父巡礼が終わった後に入って疲れを癒すという「満願の湯」にも行ってない~!


甲牛年総開帳はもうすぐ終わってしまうけれど、まだまだ、もう少し楽しめそうな秩父札所めぐりでした♪