2015年3月29日

西股先生のトークショー@神保町


いつも大変お世話になっているナワバリスト・中世城郭研究家の西股総生先生が、この度戎光祥出版から「神奈川中世城郭図鑑」という、神奈川にある中世の「土の城」を網羅した本を出版されました~!

ということで、神保町の書泉グランデにてトークショー&サイン会を開催するので「ぜひお出でください&皆さんにお声がけください」という丁重なるお誘いを頂戴いたしまして、(どっちかというと後半の方がメインか・・・笑)、さっそくフォロワーさんと誘い合って出かけることにしました。





さて、会場の書泉グランデ7Fイベントスペースに行ってみると・・・30~40人くらい入れる会場の最前列はどこかで見た顔ばかりwww

いつもおなじみの城好きフォロワーさんが結構来ている上に、後ろの方には城フェスを主宰している「かみゆ」編集部の方々や歴☆女子会のみゆさん、なんと城メグリストの萩原さちこさんまでいらしてる~(@口@)!

これには登壇された西股先生も苦笑い。

というのも、実は先生と戎光祥出版の方々はトークのあとにクイズを用意していたらしいのですが、「この顔ぶれじゃ、簡単すぎて馬鹿にしてると言われちゃうね~☆」

いやいや、そんなことはありません~!と会場がほぐれたところでトーク始まり始まり。。。





まず、なぜ「神奈川中世城郭図鑑」を書こうと思ったか?から始まって、実際に城を歩くときに参考になるような内容を心がけたなどという話の中に、さりげな~く以前に出版した萩原さんとの共著「山城へGO!」のPRなんかも織り交ぜながら(笑)話は進んでいきました。

そして、レジメとともに気前よく(!)配られた8枚もの先生が描かれた縄張図!!(茅ヶ崎城、仲山城、小松城、柏原城、岡崎城、屏風山塁・・・津久井城に滝山城まである☆)

この縄張図を見ながら関東の城の魅力について語っていただきました。

その中でココロに残ったのは、関東は土の城が極限まで発達した地域なので縄張りが面白いのだというところ。

関東は近畿よりも50年先に戦国時代が始まっていることにより、戦いの中で発達してきた城が多いこと。そして、関東の城が近畿の城やその後の近世の城に発展したわけではなく、むしろ城の進化の中では別の系統の袋小路にあるので、それが多様性となっていて面白いのだということ。

そして~

「城から垣間見える関東戦国史の魅力」ということで、実は天正18年(1590年)の豊臣軍の小田原攻めのときに、後北条側には箱根決戦構想があったのではないか?という説をご披露!

これは「神奈川中世城郭図鑑」の中でも「屏風山塁」の項で触れられているのですが、天正18(1590)年の小田原攻め間近な時期に、北条氏直が屏風山に視察に来ているという史料があるのだとのこと。

このような時期にわざわざ視察するということは、後北条氏側には屏風山を指揮所として豊臣軍主力に対するための何らかの決戦構想があったのだけれど、箱根路の防衛線である山中城が予想外の短時間で突破されてしまったために、実際には構想が実現しなかったのではないか・・・というものです。

確かに・・・

後北条氏は天正15年ごろから対豊臣戦に備えて、大動員体制を敷いて各地の拠点城郭の改修・増強を行ったりしていたにもかかわらず、小田原攻めの時には八王子城の氏照や鉢形城の氏邦、「のぼうの城」忍城の成田氏など、各城の主力が小田原城に終結してしまって、北関東方面の守備が手薄?になってしまっていたのも、この決戦構想があったから・・・と考えるほうが納得がいきます。

・・・というか、少なくとも、いわゆる「小田原評定」籠城のための集結というよりは、後北条贔屓のワタシにとってはとっても魅力的な説でありまする♪

これは、ぜひぜひ屏風山塁がどんな位置に所在するのか、実際に行って見なくては・・・!



楽しいトークはあっという間に終盤を迎え、ショーの最後には、先生が「一応」ご用意いただいていたクイズ大会。

賞品はなんと先生ご秘蔵(というかナイショ?)の、とある資料本2冊と、なぜか?ぬれせんべい(笑)

そして、その資料本はすでに発行元にもないという「まぼろしの」東国の図面集!

城好きの精鋭が集まっていた上に、さらにその本のおかげで参加者に気合が入ったと見えて、案の定、「不正解は離脱」ルールで最後まで残った方が多く、最終的にはじゃんけんで勝者決定☆

なんと、フォロワーのさとみんさんがぬれせんべいを、豪士さんが本を、ゲット♪

そしてトークショー終了後、恒例のサイン会も終わり、先生をこそっとお誘いしてフォロワーさんみんなでお疲れ様会。
かんぱーい!

(あ、先生のお写真はご本人の了解を得て公開しております☆)

2015年3月5日

「今川氏 ~駿府を愛した戦国大名~」展に行ってみました♪

珍しく&急に箱根の山を越えることになりまして・・・
陽射しも春めいて(そして当然花粉も活発になった笑)青空の下、新幹線に乗って静岡の街へ。





まさに今年、平成27年(2015年)は徳川家康公薨去400年ということで、街のあちこちに幟や看板が掲げられたり、いろいろとイベントが開催されたりしています。

その400年祭顕彰事業も兼ねて、静岡市が建てようとしている歴史文化施設の「さきがけ事業」ということで、、2月20日(金)~3月15日(日)の期間、静岡市役所本館1階の市民ギャラリーで「今川氏 ~駿府を愛した戦国大名~」展が開催されているというので、寄って見ることにしました。

静岡市役所本館の建物は文化庁の登録有形文化財だそうで、ドームがすごく素敵!
内部にも古めかしいシャンデリアやステンドグラスがあって、とても重厚な感じです♪





・・・なんで、家康公薨去400年で「今川氏」?

ということはさておいて、今川氏については後年に「公家風で軟弱」のような実態とはかけ離れたイメージが刷り込まれてしまったせいか、どうも静岡では今まで「駿府=家康公」のイメージが強いような気がしていました。

が、やっと「先進的な領国経営を行い高度な文化を持った駿河の太守 今川氏」に陽があたるか~!という感じです♪

入場料は一般200円、70歳以上100円、中学生以下は無料。
もちろん内部は撮影禁止。

ところが受付で聞いてみたら、パンフレットも出展目録もないとのこと。
まぁ、この値段でしたらそんなもんかもしれませんが・・・何を見たのか覚えてられるかな(^^;)





あ、この写真は会場の外の廊下から見えるものを撮影したものです☆

展示物はパネル展示主体で、全部で小部屋3部屋と、思ったよりは割と見ごたえのあるボリューム。

駿河の地理的状況や駿河守護職としての今川氏の初代・範国からの歴史にさらっとふれた後、7代氏親と妻の寿桂尼、8代氏輝、9代義元と軍師雪斎、10代氏真といった、いわゆる「戦国時代」にスポットを当てて、さっくりと丁寧に説明がされています。

欲を言えば、「花倉の乱」や「河東の乱」、甲相駿三国同盟なんかにも、もっと突っ込んでほしかったな~と思いつつ・・・

この展示会としての目玉は、縁の寺々に納められた氏親公や義元公、雪斎軍師や連歌師の宗長の木像のようです。
綺麗に彩色も施されていて、生前はこんな感じであったのかなぁ・・・?

木像の他には、今川家に関連する文書類、寺社や商家に出したものや、氏親公が定めて東国では最古の分国法といわれる「今川仮名目録」などもありました。

文書類で特に惹かれたのは、寿桂尼の「帰」(とつぐ)印の朱印が押されたかな文字の朱印状!
夫の氏親が亡くなった後、息子の氏輝が成人するまで政務をとりしきった状況がまざまざと伝わってくる書状でした・・・☆

そんなこんなで、じっくり時間をかけてゆっくり堪能してしまった「今川氏」展でありました、のですが・・・





今回の展示の中でいちばん自分のツボにハマッたのは、実は竹千代君(後の徳川家康公)が駿河の今川館において13歳で元服した際に着用したという、義元公誂えの「緋縅の胴」(スミマセン、うろ覚えです)。

やっぱ、徳川に行ってしまった(^^;) でも大人のものより一回り小さくて、カワイイ!
撮影できなかったので、お見せできないのが残念☆

展示会場の終わりのアンケート回収場所には、季節柄?とても豪華な御殿雛と天神雛がかざられていて、これは撮影OKでした♪




さて、展示を見終わって、せっかく静岡に来たので、駅ビル内のお店で丸子宿名物のとろろ飯を美味しくいただきながら展示のことをツイートしたら、静岡在住城ともフォロワーのさらさんが気がついて、声をかけてくれたので、急遽その夜に一緒にお食事することに!





夕暮れの静岡駅前「竹千代君」像を横目に、さらさんチョイスの豚&チーズ料理の美味しいお店に行って、城バナいっぱいの楽しい静岡ナイトを過ごしました。

持つべきものはよき城ともさん?!さらさん、ホントにありがとう~!