2014年5月24日

見よ、あれが鎌倉の海だ・・・! ~鎌倉珍道中その3~

さてさて、朝比奈切り通しを抜け(鎌倉珍道中その1)、背中ぞくぞく?なスポットをいくつか回った(鎌倉珍道中その2)その後は、いよいよ和賀江島へ向けてGO!




珍道中メンバーてらさんの用意してくれた鳥瞰図によると、東勝寺跡から和賀江島まではこんなにある~☆

その道筋は現在住宅地の中を通る舗装道路となっている「小町大路」(小町通とは違います)をひたすら海まで歩くのですが、この日は実は5月にしてはめちゃくちゃ暑い日。

これまでの行程は比較的緑の中だったので、風が爽やかで歩きやすかったのですが、さすがに陽射しをさえぎるもののない舗装道路はフライパン状態。それよりは・・・


「東勝寺から山の上を行くルートもあるけど、どうする?」

上り下りもあるけど、フライパンよりはいいでしょ~☆

というわけで、そのまま山を登って「祇園山ハイキングコース」へ。



鎌倉は三方を囲む山と南側の海とが天然の要害となっています。そしてそれらの山々には現在多くのハイキングコースが整備されています。

「祇園山ハイキングコース」はそれらの中でも一番鎌倉の中心部に近いところにあって、東勝寺跡からずっと尾根伝いに南の八雲神社まで出ることができます。


それっ!と尾根に向かって急坂を登る途中途中にもいくつかのやぐらがあります。

案内はありませんが、道に面したその中の1つがとても丁重に祭られているようだったのですが、ちょうど人1人が座れるくらいの広さな上、ちょうど腹切りやぐらの真上くらいの位置。

もしかしたら、一族郎党は東勝寺や腹切りやぐらのあたりで自決したのかもしれないけれど(なにぶん870人という大人数!)、高時はもう一段上の、このあたりにいたのかもしれないな・・・

なんて、根拠のない妄想をしたりして☆

尾根に出ると、こんな道が続いています。



よくよく見ると、どうも普通のハイキングコースと少々様相が違っていて、写真では判りにくいんですが人工的な平場や土塁様の地形、どうみても掘割状古道のようなものが続いているんです。

それもそのはず、鎌倉のハイキングコースの多くが、鎌倉の外郭をなす山々の防衛ラインの古の連絡道であったのです。

先ほどの鳥瞰図で山々の上を結ぶ茶色い線が、まさにそれに当たるわけです。

だから、道が鎌倉街道のような掘割状になっているところがあっても、まったく不思議ではないんです。

それどころか、もしかして鎌倉幕府滅亡の東勝寺合戦のときに、戦うために、または落ちるために、この尾根を走った人々があったのかもしれない・・・またしても、そんな妄想がむくむく☆


しかしながら、今回は「ディープな鎌倉」散策とは聞いていたけど、まさかハイキングまでするとは思わなかったよ~(^^;) とぶつぶつ言いながらいくつかのピークを過ぎて、現れた分かれ道を左手に登ったピークが・・・



・・・見よ!あれが鎌倉の海だ~!!

ここまでの疲れが吹っ飛ぶような、これが祇園山山頂の展望台からの景色です。
ここからは鎌倉の町や由比ガ浜方面の海と稲村ガ崎、天気がよければ伊豆半島まで見えます。

樹木が茂っていて、目指す材木座海岸方面和賀江島は見えなかったんですが・・・(^^;)



元の道に戻って、尾根から下に下っていくと鎌倉最古の厄除け神社である八雲神社です。
後三年の役のために奥州に赴く途中で鎌倉に立ち寄った新羅三郎義光により勧請されたのが始ということです。

しかし、使われている紋がどーにも織田木瓜に見えるんだが・・・?



八雲神社を出ると、小町大路です。

小町大路と言うのは小町通りとは違います。
吾妻鏡にもその名が記されている、鎌倉幕府による都市計画の中核をなす「六大路」のひとつで、若宮通りの東側を平行して材木座海岸に至る鎌倉時代の基幹大路です。

日本最古の築港とされる和賀江島への流通経路にもあたるため、同じく「六大路」のひとつで長谷から名越切り通しに向かう大町大路と交差する大町四つ角付近は当時の鎌倉随一の商業地区であったとのことです。

今はめっちゃ閑静な住宅街です。

その大町四つ角から小町大路を南下して、横須賀線の踏切を越えてちょっと西に入った所にある由比若宮神社(元八幡)。



源頼朝の先祖である源頼義が、前九年の役の際に戦勝祈願をした京都の岩清水八幡宮をこの地に勧請したのが始まりで、その後、治承4年(1180年)に頼朝が遷座したのが、現在の鶴岡八幡宮です。

つまり、鶴岡八幡宮の前身?というわけですが、源氏の氏神である八幡宮をまだ開府される前の鎌倉に祀ったということは、鎌倉時代以前からでも、いかに源氏にとって鎌倉が重要な土地であったか、ということですね。。。

境内には「源義家公 旗立松」なんてのもありますが、どうもすでに根っこもなくて、ただ「これがそうだった」というような木が置いてあるだけのような感じになってしまってます。


また小町大路に戻り、この頃になるとフライパン化した舗装路のおかげで死にそうに暑くなってきたので、途中の駄菓子屋さんでアイスやジュースの買い食いをしたりしながらさらに南下して、九品寺です。





九品寺は鎌倉攻めの総大将だった新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に北条方の戦死者を弔うために、鎌倉攻めの際本陣を構えたとされる材木座に建立したものです。

で、山門の「内裏山」と本堂の「九品寺」の文字は新田義貞の文字を写したものといわれています。

ここまで来ると、もう海はすぐそば~!!

材木座海岸に行き当たって、今度はそのまま海岸に沿った道を東に向かうと、やっと本日最終目的地の和賀江島です!


和賀江島は国の史跡にも指定されている、現存するわが国最古の築港遺跡です。

もともと鎌倉の前海は遠浅で船の着岸には向いておらず、また波浪によって難破・転覆する船も少なくなかったため、勧進上人往阿弥陀仏が鎌倉幕府3代執権北条泰時の協力を得て、伊豆石などで島を築いたものです。

鎌倉時代には日本各地のみならず宋からの船も着ていたようですし、江戸時代までは港として利用されていたようですが、度重なる震災や老朽化により、現在では石のがれきが島となってのこるのみです。

写真の漁船の脇にうっすらと見えている浅瀬が、和賀江島です。
遠浅なので、干潮になると島まで渡れるらしいのですが、満潮になると水没してしまうようです。

行ったときには潮が満ちていて渡ることはできなかったんですが、それでもなんとか見ることが出来てラッキーでした☆

ちなみにこの和賀江島あたりの海岸では、その昔難破した船などの積荷だった瀬戸物の破片がよく流れ着いているそうです。

なので、私たちもせっせと探してみました・・・が、時代の新しそうなものやガラス瓶の破片ばかりで、なかなかそれらしいものは見つけられないですね~☆


山から海まで、ディープな鎌倉。

もし自分で回ろうと思ったら、なかなか行かないようなところを回れて(特に古道好きな私めの好みとリクエストに沿っていただき)、本当によかったです!

今度は、今回行かなかった他の切り通しや鎌倉の外郭をなす山々も回ってみたいですね~☆


(おまけ)
・・・で、本日の行程は終わったんですが、その後少し時間があったので、やっぱり鎌倉といえば、の朝にスルーした鶴岡八幡宮に参拝いたしました。。。

自分たちは他の人の行かないところばかり回ってたのであまり思わなかったんですが、やっぱり観光地だけあって人が多い!




参拝する前に、段かずらの二の鳥居のところで路駐自転車に足をひっかけて、本日二度目の「空をとんで負傷」事件があったんですが、まぁ後は滞りなく本殿、舞殿、源平池などをフツーに回り、
小町通りから1本入った、観光客は普通行かないようなディープな通りの、てらさん行きつけのお店で、かんぱ~い!

美味しいお酒と肴に舌鼓を打ちつつ、この日の反省と歴史談義に花を咲かせながら、2日目に向けて、ディープな鎌倉の夜は更けてゆくのでした・・・♪