2014年5月3日

いざ参陣!小田原北条五代祭り

フォロワーのあきさんは、埼玉県民なのに「八王子城三鱗会」の会員だという、かなりの八王子城好きさんです。

「八王子城三鱗会」というのは八王子城跡のボランティアガイドさんの会で、城跡ガイドツアーや手作り甲冑教室などいろいろ活発な活動をされています。

あきさんも三鱗会の甲冑隊として八王子いちょう祭りや八王子神社八幡神社の例大祭の武者行列に参加しているので、いいな~いいな~!と叫んでいたら、あきさんが三鱗会の方に話をしていただいて、私もこの「小田原北条五代祭り」の武者行列に声をかけてもらうことができました。

人生初武者行列・・・やった~!



当日、朝6時半にあきさんの車で出発、7時半に八王子城ガイダンス施設前の駐車場に集合。

見回すと、とてもやさしそうなおじさまおばさまばかり。

なんでも八王子市観光協会と合同参加ということで、ガイドの方々とともに、手作り甲冑教室で作った甲冑持参でご参加の「筋金入りの」武者行列好きな方々も・・・

私ともうひとり初参加の女性がいらしたのですが、暖かく迎えていただいて、いざ出陣!

大型バスに乗り込んで出発したのでした。



さてさて、朝のヨワい私としてはめちゃ早起きだったので、バスに乗って現地まで2時間、のんびり爆睡できちゃうかな~☆と思いきや・・・

さすがは「八王子城三鱗会」。そんな甘いことは許してくれません(笑)

当日の行程について連絡があったとおもったら、次には何かレジメの配布。
さっそくお勉強です。

テーマは「八王子合戦の戦没者数?」

佐藤彦五郎記念館所蔵の榊原康正書状にある「~城代横地を為初数千人討取畢(おわんぬ)~」八王子城の戦死者「数千人」とは中世の時代にはどの程度の数を表現していたのか、掘り下げて講義していただきました。


この講義の中では、結論として榊原書状の「数千」は、攻め手であった前田利長の書状にある「~八わうしと申すしろへとりかけ、本丸までせめほし、くひかす三千よとらせ候~われゝものも、半分ておいしにん候」の「三千」を表現していると考えてよいのでは、ということです。

バスの中のミニ講義・・・とはいいながらも、その後もこの榊原書状と大久保長安とのつながりや、地元に伝わる民話伝説からみた北条氏照の人物像についてなど、いろいろなお話を伺って、身も心も八王子城の足軽に染まりつつ。。。


あっという間に、バスは小田原城下に到着!

ここで自前の手作り甲冑着用の方々と別れて、我々装束借用の傭兵(?)は小田原商工会議所にて、まずはご用意いただいた足軽の装束に着替えることに。

まず白い肌着(胴着?)をつけます。そして足袋ソックスの上にたっつけ袴(裾のきゅっと絞られた袴)を履いて、脛当てをぐるぐる巻いて、わらじを履きます。

上は肌着の上に籠手(手甲?でも肩まで覆うもの)を両腕につけ、その上から腹巻をつけます。



・・・と、ここまで書くといかにも私がすんなり身につけてるように思われそうですが、実はトンデモなかった!

まず、胴着やソックスはともかく他のものは着たことも触ったこともなくて、どうしていいかわからずにおろおろ。

見るに見かねたらしい、すでに美々しい装束姿のおかあさまたちが飛んできて、かかりきりで着付けてくださいました。

が、とにかくぐるぐる巻き!
もともと各パーツともヒモで止める用になっているので、縛らなきゃ行けないヒモが多いのですが、、まるで和服の着付けの時にぎゅうぎゅう締め付けられるのと同様がそれ以上にぐいぐい締め付ける!

これは進軍途中で装束が緩んではいけない、という配慮なのだと思います。
でも袴のヒモがすでにぎゅうぎゅうに締め付けられているところに、腹巻の上から上帯をぐいっと締めたときには息が詰まりそうに。



でも、それでも「緩んでしまっている」ということで、最後上帯に刀を差すときには男の方にも手伝っていただいて3人がかりでぐいぐい締めていただいて・・・お腹の中身が出ちゃうんじゃないかと思った(笑)

それに、こんな大変なの、本当の戦の時はどうだったんだろう?もっと簡単に着脱できないと困るよね、あ、もしかして着けたら最後戦が終わるまで脱げないのか・・・とかいろいろ心配してしまいました。


でも・・・不思議なことに着付け終わってからしばらく動いていると少し緩んでくるのか、ぴったりして動きやすくなるんですよね。

おかげで進軍中まったく不安なく歩けました。小田原の皆さまありがとうございましたm(_ _)m



そして、小田原北条五代祭りのスタッフ弁当を美味しくいただいた後(胸が苦しくておにぎり1つしか入らなかったけど)は、商工会議所の前に集合して、ぞろぞろと出陣式会場へ。

今年のパレード武者行列は阿藤快さんが初代北条早雲役、三代北条氏康役には柳沢慎吾さん・・・と北条五代の投手役に小田原ふるさと大使に任命されている方々が扮して、それぞれの隊を率います。

また、二代氏綱隊の中には「玉縄城主北条氏時隊」として鎌倉から玉縄城趾まちづくり会議の方々が、三代氏康隊には「川越城主北条綱成隊」として川越藩火縄銃鉄砲隊保存会のみなさんが、四代氏政隊には我が八王子城三鱗会氏照隊の他に「「鉢形城主北条氏邦隊」として鉢形城三鱗会の面々が、加わっているという超豪華さ!

いや~、やっぱり「地黄八幡」北条綱成隊の火縄銃鉄砲隊、かっこいいわぁ♪

そして、武者行列パレードに参加する各軍団は、銅門の内側に待機して、セレモニー&出陣式の終了とその後の出陣を待っている訳なのですが、その数なんと約1700人!


折からの強風の中、旗指物を背にはためかせながらひしめき合ってる様子と来たら・・・
殺気だった雰囲気はないものの、軍勢を集めたとしたらこんな感じだったんだろうか、と想像力をかき立てられます。



ここから先のパレードの様子は、むしろ八王子城跡ガイドのHPにくわしく載っているので、ぜひごらんくださいませ♪

(八王子城跡ガイドHP)
http://hshiro.fuma-kotaro.com/index.html


私は・・・といえば、銅門を出たところと馬出門を出たところで待ち構えてた観客が予想以上に多くて面食らってしまって、後はず~っと表情と歩き方がぎくしゃくしちゃってマシタ☆

そんなに大勢に見られた経験ないもんで(^^;)

あとは、騎馬の後ろを見ながら3列で歩いていたので、ずっと鎌倉街道その他の古道の道幅と比べていました。往来にあの幅は妥当なのか、行き違うときはどうしてたんだろう等々。。。

そういうイミでは、たった1時間程度ではありましたが、合戦時に近い?装束にわらじ履きで炎天下
歩いたのはいい体験になりました♪
(ただ浮かれてただけではないんですよ~と言ってみる)

あきさん、八王子城三鱗会のみなさんお世話になりありがとうございました!
また、機会があったら仲間にいれてくださいね☆