2015年4月4日

お花見2015(巾着田&清雲寺)

写真が趣味のうちのじいちゃん。

歳もトシなので、事故を契機に免許を返上し車を手放してからというもの、住んでいる場所も駅から10kmの山の中、最寄のバス停まで1kmでしかも本数もないという環境であちこち写真を撮りに行くこともままならなくなりました。

その上、足腰も弱ってきて余計に家から出ることも少なくなり・・・

とはいうものの、やはり季節が巡ってくるといろいろ撮りたくなる「写真ゴコロ」がくすぐられるらしく、「あっちに行きたい」「こっちに連れて行け」と注文が増えてきます。

ごくごく近場であれば、ばあちゃんが買い物がてらに自分の軽に乗せて出かけさせたりするのですが、それにも限度があるので、桜の咲くタイミングを見計らってちょっと2人をお花見に連れ出すことにしました。

まずは隣町の日高市高麗郷にある巾着田。
ここは高麗川の流れがぐうっと蛇行して巾着の形にできた「巾着田」の堤防に沿って菜の花畑が広がって、その周りにソメイヨシノの木が植えられていて、ちょうど同じ時期に花が咲くので、春の桜の時期にはとても綺麗♪





じいちゃんとばあちゃんを車に乗せて行ってみると、ちょうどその日は日高市の「菜の花まつり」で大賑わい!

ポニーも出てきてるし、SLや特設迷路、滑り台も設置されているしで、子供連れがいっぱい。
じいちゃんはいろんな被写体があって大喜び☆

フリーマーケットや地元特産品の特売も出ていたので、写真に全く興味のないばあちゃんにも喜んでもらえたようで・・・(^^)v





SLの運転手さんは、実はうちのご近所のオジサンがボランティアでやってました。
全く知らずに行ったので、びっくり。さすがイナカは世界が狭い(笑)


さて、巾着田で1時間ほどものんびり花々を楽しんだ後は、R299を車で飛ばし、正丸峠を越えて本日のメインイベント、秩父の岩松山清雲禅寺へ。





何気に寺紋が三鱗~♪
北条氏ゆかりか~と思ったら実はこの清雲寺、三鱗紋を寺紋としている建長寺派でありました☆





そしてこの清雲寺、樹齢約600年のエドヒガンザクラを始め、境内にある約30本のしだれ桜で有名なお寺なのです。

リサーチが功を奏して?ちょうど見事に満開!





そして、日が暮れてくると桜の下にライトがぽつんぽつんとつき始め・・・








そう。しだれ桜のライトアップ!
花々が光に照らされだして、じいちゃん大興奮☆ もう周りなんか目に入らずに夢中になって写真を撮りまくってます(笑)






このライトアップは木が負担がかかるためしばらく休止していて、この度負担のかからないLED証明に変えたので、実に6年ぶりに再開したのだそうです。

しかも、ライトアップするのも桜の開花時期2週間のうちの金・土だけだという、とてもレアなライトアップ!

夜に入って空が暗くなってくると、桜の花がくっきりと白く浮き出してきて、ますます幻想的になっていきます♪






・・・桜、盛りだくさん(^^;)


そして次の写真が件のエドヒガンザクラ。清雲寺が創建された1420年に植えられたと伝えられ、高さ15m。県の天然記念物に指定されています。





しだれ桜をたっぷり堪能したら、秩父のグルメも堪能♪

まずは境内に出ていた屋台で焼きまんじゅう。

残念ながらあんこ入りは売り切れだったのですが、中に何も入ってなくてもふわふわの饅頭皮に甘しょっぱいタレを何回も重ね塗りして炭火焼でこんがり香ばしく焼き上げられていて、美味うま~!






そして、秩父市内まで戻ってきて、秩父夜祭りで有名な秩父神社のそばのお店で秩父名物の味噌だれがたっぷりかかった味噌ポテと、「2枚で1足」わらじカツ丼!





お店のレジの横には、秩父名物のおそばや豚の味噌漬けも含めてミニチュアが飾ってありました。
秩父に来たならオススメのグルメです!ぜひぜひ~☆


2015年3月29日

西股先生のトークショー@神保町


いつも大変お世話になっているナワバリスト・中世城郭研究家の西股総生先生が、この度戎光祥出版から「神奈川中世城郭図鑑」という、神奈川にある中世の「土の城」を網羅した本を出版されました~!

ということで、神保町の書泉グランデにてトークショー&サイン会を開催するので「ぜひお出でください&皆さんにお声がけください」という丁重なるお誘いを頂戴いたしまして、(どっちかというと後半の方がメインか・・・笑)、さっそくフォロワーさんと誘い合って出かけることにしました。





さて、会場の書泉グランデ7Fイベントスペースに行ってみると・・・30~40人くらい入れる会場の最前列はどこかで見た顔ばかりwww

いつもおなじみの城好きフォロワーさんが結構来ている上に、後ろの方には城フェスを主宰している「かみゆ」編集部の方々や歴☆女子会のみゆさん、なんと城メグリストの萩原さちこさんまでいらしてる~(@口@)!

これには登壇された西股先生も苦笑い。

というのも、実は先生と戎光祥出版の方々はトークのあとにクイズを用意していたらしいのですが、「この顔ぶれじゃ、簡単すぎて馬鹿にしてると言われちゃうね~☆」

いやいや、そんなことはありません~!と会場がほぐれたところでトーク始まり始まり。。。





まず、なぜ「神奈川中世城郭図鑑」を書こうと思ったか?から始まって、実際に城を歩くときに参考になるような内容を心がけたなどという話の中に、さりげな~く以前に出版した萩原さんとの共著「山城へGO!」のPRなんかも織り交ぜながら(笑)話は進んでいきました。

そして、レジメとともに気前よく(!)配られた8枚もの先生が描かれた縄張図!!(茅ヶ崎城、仲山城、小松城、柏原城、岡崎城、屏風山塁・・・津久井城に滝山城まである☆)

この縄張図を見ながら関東の城の魅力について語っていただきました。

その中でココロに残ったのは、関東は土の城が極限まで発達した地域なので縄張りが面白いのだというところ。

関東は近畿よりも50年先に戦国時代が始まっていることにより、戦いの中で発達してきた城が多いこと。そして、関東の城が近畿の城やその後の近世の城に発展したわけではなく、むしろ城の進化の中では別の系統の袋小路にあるので、それが多様性となっていて面白いのだということ。

そして~

「城から垣間見える関東戦国史の魅力」ということで、実は天正18年(1590年)の豊臣軍の小田原攻めのときに、後北条側には箱根決戦構想があったのではないか?という説をご披露!

これは「神奈川中世城郭図鑑」の中でも「屏風山塁」の項で触れられているのですが、天正18(1590)年の小田原攻め間近な時期に、北条氏直が屏風山に視察に来ているという史料があるのだとのこと。

このような時期にわざわざ視察するということは、後北条氏側には屏風山を指揮所として豊臣軍主力に対するための何らかの決戦構想があったのだけれど、箱根路の防衛線である山中城が予想外の短時間で突破されてしまったために、実際には構想が実現しなかったのではないか・・・というものです。

確かに・・・

後北条氏は天正15年ごろから対豊臣戦に備えて、大動員体制を敷いて各地の拠点城郭の改修・増強を行ったりしていたにもかかわらず、小田原攻めの時には八王子城の氏照や鉢形城の氏邦、「のぼうの城」忍城の成田氏など、各城の主力が小田原城に終結してしまって、北関東方面の守備が手薄?になってしまっていたのも、この決戦構想があったから・・・と考えるほうが納得がいきます。

・・・というか、少なくとも、いわゆる「小田原評定」籠城のための集結というよりは、後北条贔屓のワタシにとってはとっても魅力的な説でありまする♪

これは、ぜひぜひ屏風山塁がどんな位置に所在するのか、実際に行って見なくては・・・!



楽しいトークはあっという間に終盤を迎え、ショーの最後には、先生が「一応」ご用意いただいていたクイズ大会。

賞品はなんと先生ご秘蔵(というかナイショ?)の、とある資料本2冊と、なぜか?ぬれせんべい(笑)

そして、その資料本はすでに発行元にもないという「まぼろしの」東国の図面集!

城好きの精鋭が集まっていた上に、さらにその本のおかげで参加者に気合が入ったと見えて、案の定、「不正解は離脱」ルールで最後まで残った方が多く、最終的にはじゃんけんで勝者決定☆

なんと、フォロワーのさとみんさんがぬれせんべいを、豪士さんが本を、ゲット♪

そしてトークショー終了後、恒例のサイン会も終わり、先生をこそっとお誘いしてフォロワーさんみんなでお疲れ様会。
かんぱーい!

(あ、先生のお写真はご本人の了解を得て公開しております☆)

2015年3月5日

「今川氏 ~駿府を愛した戦国大名~」展に行ってみました♪

珍しく&急に箱根の山を越えることになりまして・・・
陽射しも春めいて(そして当然花粉も活発になった笑)青空の下、新幹線に乗って静岡の街へ。





まさに今年、平成27年(2015年)は徳川家康公薨去400年ということで、街のあちこちに幟や看板が掲げられたり、いろいろとイベントが開催されたりしています。

その400年祭顕彰事業も兼ねて、静岡市が建てようとしている歴史文化施設の「さきがけ事業」ということで、、2月20日(金)~3月15日(日)の期間、静岡市役所本館1階の市民ギャラリーで「今川氏 ~駿府を愛した戦国大名~」展が開催されているというので、寄って見ることにしました。

静岡市役所本館の建物は文化庁の登録有形文化財だそうで、ドームがすごく素敵!
内部にも古めかしいシャンデリアやステンドグラスがあって、とても重厚な感じです♪





・・・なんで、家康公薨去400年で「今川氏」?

ということはさておいて、今川氏については後年に「公家風で軟弱」のような実態とはかけ離れたイメージが刷り込まれてしまったせいか、どうも静岡では今まで「駿府=家康公」のイメージが強いような気がしていました。

が、やっと「先進的な領国経営を行い高度な文化を持った駿河の太守 今川氏」に陽があたるか~!という感じです♪

入場料は一般200円、70歳以上100円、中学生以下は無料。
もちろん内部は撮影禁止。

ところが受付で聞いてみたら、パンフレットも出展目録もないとのこと。
まぁ、この値段でしたらそんなもんかもしれませんが・・・何を見たのか覚えてられるかな(^^;)





あ、この写真は会場の外の廊下から見えるものを撮影したものです☆

展示物はパネル展示主体で、全部で小部屋3部屋と、思ったよりは割と見ごたえのあるボリューム。

駿河の地理的状況や駿河守護職としての今川氏の初代・範国からの歴史にさらっとふれた後、7代氏親と妻の寿桂尼、8代氏輝、9代義元と軍師雪斎、10代氏真といった、いわゆる「戦国時代」にスポットを当てて、さっくりと丁寧に説明がされています。

欲を言えば、「花倉の乱」や「河東の乱」、甲相駿三国同盟なんかにも、もっと突っ込んでほしかったな~と思いつつ・・・

この展示会としての目玉は、縁の寺々に納められた氏親公や義元公、雪斎軍師や連歌師の宗長の木像のようです。
綺麗に彩色も施されていて、生前はこんな感じであったのかなぁ・・・?

木像の他には、今川家に関連する文書類、寺社や商家に出したものや、氏親公が定めて東国では最古の分国法といわれる「今川仮名目録」などもありました。

文書類で特に惹かれたのは、寿桂尼の「帰」(とつぐ)印の朱印が押されたかな文字の朱印状!
夫の氏親が亡くなった後、息子の氏輝が成人するまで政務をとりしきった状況がまざまざと伝わってくる書状でした・・・☆

そんなこんなで、じっくり時間をかけてゆっくり堪能してしまった「今川氏」展でありました、のですが・・・





今回の展示の中でいちばん自分のツボにハマッたのは、実は竹千代君(後の徳川家康公)が駿河の今川館において13歳で元服した際に着用したという、義元公誂えの「緋縅の胴」(スミマセン、うろ覚えです)。

やっぱ、徳川に行ってしまった(^^;) でも大人のものより一回り小さくて、カワイイ!
撮影できなかったので、お見せできないのが残念☆

展示会場の終わりのアンケート回収場所には、季節柄?とても豪華な御殿雛と天神雛がかざられていて、これは撮影OKでした♪




さて、展示を見終わって、せっかく静岡に来たので、駅ビル内のお店で丸子宿名物のとろろ飯を美味しくいただきながら展示のことをツイートしたら、静岡在住城ともフォロワーのさらさんが気がついて、声をかけてくれたので、急遽その夜に一緒にお食事することに!





夕暮れの静岡駅前「竹千代君」像を横目に、さらさんチョイスの豚&チーズ料理の美味しいお店に行って、城バナいっぱいの楽しい静岡ナイトを過ごしました。

持つべきものはよき城ともさん?!さらさん、ホントにありがとう~!

2015年2月28日

高麗郷古民家のひなまつり♪

埼玉県内で国道16号線と299号線を結ぶ県道15号川越日高線の、曼珠沙華で有名な巾着田のまん前に、堂々たる石垣の大きなお屋敷があります。

生活道路としてこの前をよく通るんですが、その度に気になっていたところ、このお屋敷が実は国登録有形文化財「高麗郷古民家」として一般に公開されていて、ちょうどひな祭りやってるよ~!という情報をGETしたので、初めて行ってみることにしました。




高麗本郷という地名のこの巾着田のあたりは、続日本紀に「霊亀2年(716年)に、甲斐・駿河・相模・上総・下総・下野の七カ国の高麗人1799人を集めて武蔵国に移し、高麗郡を置く」旨の記載のある古いお土地柄、旧高麗村の中心地です。

そして、この古民家はかつて江戸時代に名主を務め、後に高麗村の村長も務めていた新井家の屋敷なんです。





門の中に入って枡形か~?と思わせる通路を鉤の手に曲がりながら坂を上がると・・・




・・・右手に木造の入母屋作りの母屋、正面に白壁の客殿が現れます☆

母屋の土間に入ると、土間からすぐの座敷の奥の床の間側には五段飾りのお雛様。
そして座敷の手前いっぱいに、手作りのつるし雛~!





よくよく見ると床の緋毛氈の上には、手作りお手玉のおひなさまがちょこん。
・・・カワイイ♪






座敷に続く出居などの間にも段飾りが誂えられてい廊下越しに見ることが出来るようになっています。

昔、この屋敷が華やかなりし頃のひな祭りもこうだったのかもしれないなぁ・・・と感慨しきり。


向唐破風の式台構えで格式高く作られている客殿の玄関にも、飾り付けがされていました。
こちらは約100年前の古いおひな様。






玄関の隣の客間にはいくつもの御殿飾り。
昭和30年代くらいのものが多くて、御殿飾りはもっと古いものが主流かと思っていたのでちょっとびっくり。

でもいずれも豪華ですね~♪

おひな様を堪能した後は、こそっと建物の裏手に回ってみました。
土蔵のそばには樹齢数百年という見事なタブの木や・・・






水路にかかっているコンクリートの渡し板にくっきりとニワトリの足跡?(笑)

そもそも建物自体が見事でですし、おひな様以外にもなかなかに見どころ満載なのですが、裏にずんずん入っていって目に入ってきたものにびっくり☆




すいません~!これ以上は行きませんのでお許しくださいませ(>o<;)

・・・て、もちろんこの札はお寺の冗談まじりの警告文なんですが、それにしてもお寺が「打ち首」って~www


2015年2月17日

永青文庫「信長の手紙」展に行ってきました~♪

目白のホテル椿山荘のすぐそばにある永青文庫は、旧熊本藩主細川家の歴代藩主所用の甲冑や書画、古文書などを収蔵・公開している博物館。

旧細川公爵家の広大な敷地の一角に家政所(事務所)として昭和初期に建てられた建物です。

この永青文庫で1/6~3/15に開催されているのが、「重要文化財指定記念『信長からの手紙』~細川コレクションの信長文書59通、一挙公開!~」。

実はワタシ、この企画展のことを近所の新聞代理店の「チケットプレゼントキャンペーン」ちらしで初めて知りまして・・・(*^^*)

その時には2/8までの前期展示は終わっちゃってた!残念・・・

で、たまたま通院のため仕事の休みをとっていたこの日に、診察が終わってから出かけることにいたしました☆






目白駅前からバスに乗り10分程度。雅叙園の前でバスを降りて、あいにくのお天気で小雨しょぼ降る中、永青文庫へ。

入り口ガラスが入った扉には展示会のチラシが貼ってあるだけで、企画展をやっている様子があまり感じられない入り口を入り・・・

永青文庫の中は撮影禁止なので、内部の写真はありません☆m(_ _)m





会場で配布されていた今回の展示会目録によると、展示品は全部で67点。

細川幽斎像と(元亀4年)3月7日細兵殿あて黒印状が通期で展示、あとは前期と後期でほぼ半数ずつ入れ替わっているようです。

今回、後期の展示を見た中で特に印象的だったのは、長篠合戦後に岐阜に凱旋した信長公の、天正3年(1575年)5月26日付け細川藤孝公あて返書。

もちろん、ワタシは古文書にあるような崩し字は全く(!)読めないので、解説を見ながら「あ、ここはこういうことを書いてあるのか~」と追っていくのがやっとなんですが。。。

この文書は、そんな素人な私の目にもパッと見から他の文書とはかなり、字の整い具合が違う感じに見えました。

他の文書では字のリズムも墨の濃さも割と一定で落ち着いた感じなんですが、これは祐筆(武井夕庵)が書いているにも関わらず、急いで書いたような墨の継ぎ足し方やかすれ具合に見えます。

言葉も、「四郎首未見之候 大要切捨 河ヘ漂候武者若干之条 其内ニ可有之歟」とか「近年之散鬱憤候」のあたりなどは、言葉の使い方が武田氏に対する恨みがすごい!という感じ☆

この手紙って、もしかしたら信長公が「こう書いて遣わせ!」と(たとえば、首は見てないけどおおかたその辺の川に漂ってる死体の中にでもあるんじゃないか、とか、ザマアミロ!みたいに)言った言葉を、そばで必死に祐筆が手紙文にまとめながら書いたんじゃないか・・・なんて、妄想がむくむく膨らんじゃいます(笑)

それくらい、書いた時の生々しい状況が垣間見えるようで、すごい迫力!






その他にも、祐筆の手になる事務的な文書や儀礼的な文書の整った文面の合間に、さらさらっとつけられた追伸(追而書)部分に、すごく人間味を感じてしまったり・・・♪

たとえば、天正5年(1577年)2月11日付けの朱印状。

本文は大きく整った字の事務的な命令文で、紀伊根来寺への信長公の出馬は13日に早めるので指示次第で動けるように」と指示していながら、追伸ではさらさらっと「杉坊からの状況報告で即時出馬」と記しています。

ということは・・・命令文を書いて発送しようとしていたところに杉坊からの連絡が来て状況が変わったので、あわてて追記して送ったんだな~と、これまた状況を妄想むくむく(笑)

他にも、天正7年(1579年)正月12日の黒印状では、荒木村重の有岡城攻めのために越年で付城に駐屯していた藤孝公へのねぎらいと、子息との在番交代の許可について書かれているんですが、追伸部分に「知多でとれて禁裏へ進上した鯨の一部をおすそわけ」と、これもさらさらっとさりげなく書いてあって、なんとなくココロがほっこり☆

追伸(追而書)のある文書ってそんなに数はなかったんですが、ワタシ的には今回のはまりどころで、何度も見入ってしまいました。

実は数日前にTVで「信長の手紙」の特集をやってたらしく、見てから来ればもっと理解が深まったのかもしれないな~とちょっぴり残念ではあったんですが、見てなくても十分に堪能できた企画展でした!


2015年2月11日

城山砦と鎧展に行ってきました ~伊澤昭二コレクションを中心に~

狭山市立博物館は、「埼玉県のお茶香る町」狭山市の「県営狭山稲荷山公園」の中にあります。

西武池袋線稲荷山公園駅のすぐそばにあって、普段は常設展示で狭山の太古から近現代までの歴史的資料を展示している、いわば「郷土資料館」的な施設です。

で、常設展示のほかに年に2~3回企画展を開催していて、これまでは恐竜だったり鉄道だったり文明開化だったりと、戦国時代とか「城」に関連したような企画展は見当たらなかったのですが・・・






今年に入ってからTwitterのTLに流れてきたツイで、11/29~3/1の冬季企画展として「城山砦と鎧展」というのが開催されていて、特に鎧の展示がなかなか充実していてよかった♪というのを見かけまして。

これは行ってみようかな~と思いつつ、自宅から近く(隣町)だし、いつでも行けると思って行くのを延ばし延ばしにしていたのですが、やっと買い物ついでに行ってみることにしました(^o^;)

で、車をとばして40分ほど。企画展・常設展示共用で150円の入館料を払って展示室の中に入りますと、まず一階では城山砦の展示。

そして2階の企画展示室に城山砦の展示と、お目当ての「なかなか充実していた」という「鎧展」の展示があります♪

城山砦の展示については、「お城ネタ」なのでワタシのもうひとつのブログ(natchdesの城攻め備忘録)の方に記事をあげるとしまして・・・




まず、胴の前面にでかでかと三鱗紋が朱漆で描かれている具足を見つけて、いきなりテンションあがった~!

いや、三鱗紋が単純なせいなのか、それとも小田原北条氏ってあまりかっこいいってイメージがないからなのか、悲しいことに小田原北条氏関連のグッズってどこに行ってもほとんど見かけないし、展示ってあまり見かけないもんで・・・

この、うれしいほどデカデカと三鱗紋を描いてくれている仏胴は「和紙製黒漆塗二枚仏胴」といいまして、小田原北条氏家中で使われていたもののようです。

・・・あ、写真については、展示室内に「写真撮影禁止」の張り紙がなかったので、あれ?と思って念のため博物館の職員さんに声をかけまして、撮影とブログ掲載について「商業目的でなければOK」の了承を得てます~!

ちなみに常設展示の方には「撮影禁止」の張り紙があります。一般的には制限が厳しい企画展の方がここでは制限が緩いのは、図録がないからなんでしょうかね~☆



この「鎧展」に展示されている具足等は、狭山市在住で甲冑の収集・研究をされている伊澤昭二氏が所有しているものだそうで、今までも全国各地で公開されているようです。

今回の企画展では、パンフレット等では城山砦(柏原城)が主で、この伊澤氏コレクションは「戦国時代の合戦の様に思いをはせていただきます」とさらっと触れているだけで、どうにも「城山砦」展示とリンクがされていないのが、なんともとってつけたようで変な感じです。

「城山砦」は俗に「河越夜戦」と呼ばれている、天文15年(1546年)の北条氏康軍と山内北条憲政・扇谷上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍による河越城争奪戦の際に、上杉憲政が陣を敷いたといわれています。

実際に展示されているのは結構小田原北条氏関連のものもあったりしたので、もっと双方をリンクしたような展示にすると、北条好きはもっと妄想を掻きたてられてよだれがダラダラ・・・なのにな~☆


たとえばこれは、伝・伊勢新九郎長氏(北条早雲)所用の黒漆塗軍配(写し)。

伊豆木負(静岡県沼津市)の飴玉白珠比咩命神社に伝わるものの写しですが、竹製の柄に練り皮を6枚合わせて麻布を張って黒漆で仕上げられた、とてもシンプルかつコンパクトな軍配で、早雲おじいちゃまはとても質素だったんだろうな~と妄想がむくむく・・・なお品です。

この造り方は、次の伝・北条氏康どの所用の黒漆塗日月軍配と同じです。

ただし、氏康どのの軍配はもうちょっとだけ羽が大きくて、片面に日輪、もう片面に月輪を金箔で大きく押してあって、派手やかな印象。






隣には同じく氏康どの所用の鉄地黒漆塗十二間筋兜。
吹返の据紋や鉢付鋲に北条家定紋の三鱗紋がついてる~!!ワクワクw(☆o☆)w

お次は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に、支城の鉢形城や八王子城の兵士(在地小土豪)たちが着料して戦ったという、関東五枚胴です。

ただし、現存しているものは極めて少なくて、たった3領しかないとのこと。

展示されているものは、胸板が広く腰がきゅっと締まったちょっとマッチョ系のスタイルの胴に、赤漆塗りの皺皮がとても美しい草摺がついています。





そして、河内狭山藩北条氏3代目氏信の頃に作られたと考えられている、鉄地黒漆塗五枚胴。
関東五枚胴よりも時代が下がっているせいか、胴の形もすいぶん変わってずんぐりむっくりな印象です(^o^;)

そして、よくよく見ると前側に鉄砲の試し撃ちの跡が2ヶ所、ぺこぺこっと凹んでるし・・・☆


また、小田原北条氏関連以外にも、意外な?甲冑が展示されていました。





伝・森蘭丸所用の金箔押色々縅伊予札胴丸具足と網代製軍配団扇。
近江の豪商伴伝兵衛家に代々伝えられたもので、具足櫃の正面や軍配の箱書きに「森蘭丸公御召」の旨記載がある・・・のですが。

一般的には「森蘭丸」として知られていますが、「信長公記」では「森乱」、その他の文献でも「森乱法師」「森乱成利」とされているようなので、この具足と軍配について実際にはどうなのか、よくわかりません☆


その他にも伝・上杉景勝所用の鉄地黒漆塗縦矧二枚胴具足(座り方がカワイイ!)や、武田信玄・勝頼2代に仕えて武田の赤備えとして勇名を馳せた小幡信貞所用と伝えられる黒漆塗二枚仏胴具足とか。。。





秀吉の小田原攻めの時に用いられたという九鬼水軍の「あら波」の旗印(伝・九鬼嘉隆)があったのには、かなりびっくり!


他にも伝・小幡信貞所用の軍配や赤羅紗の陣羽織、伝・稲葉貞通所用の筋兜、伝・豊臣秀吉所用の背中にどどーんと桐紋が描かれた白羅紗の陣羽織なんかが展示されています。

また、いろいろな合印の足軽具足がところ狭しと並べられていて、なかなかににぎやかです。

企画展の展示室はたった1部屋だけなのですが、ぎゅぎゅっと濃縮された展示で、しかも他のお客は全くなくてほぼ貸しきり状態。

ゆ~ったりとま~ったりと時間を忘れて展示にへばりついておりました。

本当に小田原北条氏好き、甲冑好きには堪えられない展示でしたね~!

企画展展示期間終了の3/3までまだあと1ヶ月。また来れるかな?