ところが、あいにくの雨模様。
川越は地元に近いのでばあちゃんも初めてという訳ではないし、無理して定番の街歩きはせずに、屋根のあるところを回る「雨の日プログラム」でのんびりぶらぶら行くことにしました。
まずは川越市立博物館で川越の歴史のお勉強。
博物館の常設展示室は、入ると真正面に江戸時代の川越のジオラマがどーん!と出迎えてくれます。
このジオラマを見るだけでも楽しいのですが、1日に数回決まった時間にガイドの方が案内してくださるので、今回はそれをお聞きすることに。
川越は関東平野のど真ん中。荒川と入間川の合流点に位置する地理的な要衝で、室町時代に扇谷上杉氏の家宰・太田道灌によって河越城が築かれ、上杉氏、ついで後北条氏の拠点となりました。
また、江戸時代に置かれた川越藩は江戸幕府の北の守りとして、酒井忠勝・堀田正盛・松平信綱・柳沢吉保など大老・老中クラスの重臣や御家門の越前松平家が配されるなど、武蔵国一の大藩としての格式を誇りました。
これが、ジオラマの江戸時代の川越城。
寛永16年(1639年)に藩主となった松平信綱により大幅な拡張・整備が行われて、本丸、二の丸、三の丸等の各曲輪、四つの櫓、十二の門からなる近世城郭の形態が整えられました。
そして、木々の緑で四角く囲われているのが、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が慶長4年(1599年)に住職として入寺した喜多院。
なので、天海僧正の像がジオラマの喜多院をじっと見守っています♪
これが川越城本丸御殿の大玄関です。
車寄せの上の豪壮な大唐破風に金色の葵紋が燦然と光っています☆
往時は全部で16棟、1025坪の規模をもっていた本丸御殿ですが、現在では玄関・大広間部分と家老詰所のみ。ただし本丸御殿大広間は川越城のほかには高知城にしか現存しておらず、全国的に見ても貴重な遺構なのだそうです。
その玄関と大広間の部分は、その後入間県の県庁や入間郡公会所、煙草専売局淀橋支局川越分工場へと転用され、昭和8年(1933年)には川越武道奨励会の修練道場となり、名称も初雁武徳殿に変更(玄関の前に石碑があります)、戦後は川越市立第二中学校(現在の初雁中学校)の校舎や屋内運動場と使用されていたそうです。
・・・というわけで、大広間にてひょいっと天井を見上げると、たくさんのバレーボールの跡!
受付の方々にお聞きすると、それは昭和22年~23年ごろのことだそうで、「その頃にはまさか後年この建物が保存の対象になって、このように展示されるなんて夢にも思ってなかったんだと思いますよ」とのことでした。
しかし、わざとぶつけたんじゃないかと思うくらいにくっきりとついたボールの跡を、隠したり塗りなおしたりせずにそのまま展示しているのは、これもこの御殿の「歴史」であるから、ということなんでしょうね。きっと。
さて、川越といえば・・・さつまいも!
江戸時代、武蔵野の開墾地ではさつまいもの栽培が盛んになりましたが、特に寛政年間に焼き芋が江戸で大流行すると、新河岸川や入間川の舟運で江戸に出回ったさつまいもは「川越芋」と呼ばれ「栗よりうまい十三里」というフレーズにより「川越=芋の町」のイメージが定着したとのこと。
という訳で、やってきました川越 いも膳!
すべての料理がさつまいもだという名物郷土料理「いも懐石」で有名なお店です。
今回はいも懐石ではないですが、やはり「さつまいも尽くし」が楽しめる箱弁当「いも点心」をいただくことにしました。
まずは川越のさつまいも「べにあか」のお茶と甘納豆。
お茶はおいもを乾燥させて粉にして作るのだそうですが、おいもの甘い香りがふわぁ~っと広がります(*^^*)
木の芽和えはつくしが乗っていて、いかにも春らしい感じです。
椀物にはすりおろしたさつまいもが入っていて、さいの目に切った野菜の中にもおいもがころん☆
その次には、いよいよ箱膳です。
左側は定番、おいもの天ぷら。
真ん中は、薄焼き卵でくるんだうなぎご飯の中においもがころころ入っていて、意表をつきます。
そして右側のお蕎麦は、なんとそば粉ではなくさつまいもの粉を練って作ってあるそうな!
確かにお蕎麦の香りはありませんが、普通の麺といってもまったくわからない感じです☆
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