2017年3月6日

堂ヶ島や土肥は雨・・・(TT) ~ばあちゃんと伊豆旅行その3~

1日目の修善寺、2日目の下田に引き続き、3日目は「伊豆の松島」ともたたえられる堂ヶ島の朝から始まります。
 (1日目2日目の記事はコチラ)



宿の窓からは西伊豆の海と海底火山の名残の島々、そして海底に振り積もった火山灰や軽石がつくった地層の崖がひと目で見えます。


・・・が、お天気はあいにくの雨~!
お天気がよければ、もっと青くきれいな風景のはずなのですが。。。

せめて手前の桜の花で色を添えて・・・ほとんどくすんじゃってますね!(笑)
奥の小島群は、干潮時には渡れるようになるという三四郎島。見る角度によって島の数が3つにも4つにも見えるそうです。


でも、せっかく来たので気を取り直して、堂ヶ島公園の遊覧船乗り場へ。
ここからは、湾の防波堤みたいになっている亀島、蛇島、稗三升島を抜けて「堂ヶ島」の島々をぐるっと回る遊覧船が出ています。



定員15~16名ほどの遊覧船は、透明の屋根つきなので雨の日でも大丈夫!


ただし、カメラは窓についた水滴にピントが合っちゃう(^^;)
人間の目では、しっかり島々の崖の地層が見えますよ~☆



蛇島の崖には、変形した地層がつくった「蛇」のような模様が見えるんですが・・・うまく撮れなくて「蛇」に見えない(泣笑)


堂ヶ島の島々の崖のあちこちには、波の浸食によってできた洞窟(海蝕洞)が見られ、中には洞窟の中まで入っていけたり通り抜けができたりするような大きなものもあります。


国指定天然記念物の「天窓洞」はそんな海蝕洞のひとつですが、なんと海蝕によって大きくなった洞窟の天井が崩れて「天窓」ができてしまったという!

確かに洞窟の中から空が見えます~!ガラスの水滴で見えにくいけど☆


この「天窓洞」の真上は堂ヶ島公園になっていて、上から中を通る遊覧船が見えたりするそうです。

また、晴れていれば、空の青が洞窟内に差し込んで、見事な「青の洞窟」が見られるのだそうですが・・・また、そんな様子も見に再訪したいですね~☆

さて、雨のため堂ヶ島での公園散策予定がすべて吹っ飛んでしまったので、このまま帰宅しようか・・・
と東名道に向かって土肥のあたりを車で走っていたら、気になる看板があったので急遽お土産購入も兼ねて、そちらに寄ってみることに。



土肥金山です。
金山といえば佐渡が有名ですが、土肥は江戸時代から昭和(!)にかけて佐渡に次ぐ生産量を誇った金山なのだそうです。

昭和40年(1965年)の閉山後は観光坑道として一般公開してるとのこと。
しかし、坑道入り口のこの派手さはなんだろう・・・(^^;)


この岩盤と木組みの間にびっしりと入った細い丸太は、坑道が崩れないように実際入れていたものなのだそうです。きっと看板が派手なんですね~「金山」ぽいというか。


坑道の中にはところどころで人形による作業説明展示がされています。
写真は水汲み。地下水による坑道の水没を防ぐために常時汲み上げが必要なんですが、江戸時代は人力でやってたんですね~!

いや、他に坑内で使える動力がない以上、当然といえば当然なんですが、そのための人足が常時水汲みだけを黙々ととやっていたとは・・・
他にも掘る人運ぶ人風を送る人等々、多くの仕事を分業してやっている様子が人形で展示されていました。


そして坑道の出口のところには、この看板。
天正5年(1577年)、後北条氏配下の在地領主で伊豆水軍(北条水軍)を組織する富永氏によって、土肥で金山が本格的に採掘されるようになったのだそうです。


→で指している「金鉱脈」というのは、この赤い部分らしいです。
これが金だなんて、最初にわかった人ってすごいと思う・・・☆

ちなみにこの土肥金山の観光坑道とは別の程近い場所に、龕附天正金鉱(がんつきてんしょうきんこう)という、武田金堀衆が掘った竪坑の下に横から斜坑を掘り進めたものではないかと考えられている、ほぼ天正時代当時のまま残されている手堀りの坑道跡もあるそうです!


観光坑道の隣には、「黄金館」という資料館があります。
中には江戸時代を中心に土肥金山にかかる史料や、江戸時代の土肥金山の様子を現したジオラマや千石船なども展示されています。

後北条氏の滅亡後の伊豆は徳川氏の知行となり、慶長11年(1606年)大久保石見守長安が伊豆金山奉行を拝命してから飛躍的に生産量が増大し、徳川幕府の重要な金山として位置づけられることになったのだとのこと。


一番上の菱紋の陣笠は、その大久保長安が着用したと伝えられているもの。説明書きには「長安が武田信玄の家紋である菱紋を用いていたことが、一族死罪の理由の一つになったといわれている。」とあります。

他に「葵紋」や「丸に二両引き」「丸に頭合わせ二つ結び雁金」の紋も見えますが、いったいどなたの紋だったのかしら・・・


そして、展示の最後には資料館の名前「黄金館」の由来になったと思われる、巨大な金塊がどーん!!!

250kgもの重さで、約12億円相当のこの金塊は、世界最大ということでギネスブックにも認定されているそうで、展示ボックスの中に手を入れて触ることができます。
ちなみに写真に写っているのは、ばあちゃんの手☆

そして注意書きに「爪で傷をつけないようにしてください」。考えることはみな同じなんだなぁ(^^;)

金を削り取ってくることはできなかったけど(笑)3日間のんびりまったり、いい旅行になりました♪



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