那須岳西側三斗小屋温泉の宿にて満天の星空を見ながら、疲れた体を源泉かけ流しの温泉で癒し、美味しくお酒を飲んで早々に就寝した次の朝・・・
2日目は三斗小屋温泉から隠居倉、清水平経由で三本槍岳に登ったあと、中の大倉尾根を下って北温泉にてバスに拾ってもらう行程です。
まずは三斗小屋温泉の裏手から標高1819mの隠居倉まで、標高差約300mをほぼ直登~!
ここで未練たらしくも三斗小屋宿のことを書きますと・・・
戊辰戦争の時に会津軍(旧幕府軍)と新政府軍とで山岳戦が繰り広げられたという三斗小屋宿は会津中街道の宿場町のひとつです。
会津中街道というのは、このブログの別記事でも書いた下野街道(会津西街道)の代替街道。
天和3年(1683年)の日光大地震によって下野街道が通行不能になったことで、会津藩3代藩主の松平正容によって整備されました。
氏家宿から矢板宿、板室宿を経て那須山中の三斗小屋宿、標高1468mの大峠、松川宿などを経て会津に至ります。
そして、さくさく直登していると、いきなり噴気とともに源泉の湧き出している場所に遭遇したりなど☆
なおもさくさくと登って行くと標高があがるにつれて、またも紅葉が少しずつ行く手に現れてきます。
・・・木々の間から雲海が見える~♪
そして、景色が綺麗だからといって、あちこち見とれて足元おろそかにすると・・・
突然こんな細尾根に出て足元注意!
行く手の右側は噴気が出ていた跡なのか、硫黄っぽい土壌の切り立った崖で、落ちると痛そうです・・・(^^;)
隠居倉からは尾根をずっとたどっていきます。
次のピークは熊見曽根の分岐とその先の名もなき?1900m峰。
熊見曽根で朝日岳への道と三本槍岳への道が分岐するのですが、私たちは帰りの時間もあるので、朝日岳へはよらずにまっすぐ三本槍へ。
うむむ~、視界が開けて遠く下界が見ゆる・・・絶景かな絶景かな☆
熊見曽根から清水平に向けて尾根を降りていく途中には、さりげな~く人が落ちないように石積みがされていましたが、どうにも登り石垣に見えて仕様がないという(笑)
・・・がいったいどこからその湿気というか水がきているのか非常に不思議。。。
ところで、清水平を過ぎたら三本槍岳に上っていくはずなのに、どう見てもどこにも「槍」っぽいとがった形の山が見当たらないんですよね・・・
山頂へは前日の姥ヶ平と同じく、一人通るのがやっとの細い道を、紅葉を掻き分けながら登っていきます。
私はてっきり、「三本槍岳」というからには槍ヶ岳みたいにとがった山が3つ連なっているのかと、勝手な思い込みをしていたのですが・・・(^^;)
那須岳の最高峰である標高1917mの三本槍岳の名前は、昔、会津藩・那須藩・黒羽藩の3藩が領地の境をお互いに確認するために、定期的に集まって槍を立てたという話に由来しているのだそうです。
道理でとんがってなくても「三本槍」なわけだ・・・(笑)
が、このあたりでちょうどお昼タイム~☆
大倉尾根に下り始める手前にちょうど絶景ポイントがあったので、下界の風景を楽しみながら岩に腰掛けてひとやすみ&お弁当♪
なんか、ひとっとびにふわ~っと飛んでいけそうな気持ちよさ♪
これが案外足にくる!
ついさっきまであそこにいたんだよぉぉぉ!!
道はやがて見事なブナ林の中に入っていき、最後に急な山道をつづら折れで降りた谷の底が秘湯・北温泉~!
私たちも北温泉から駒止の滝の観瀑台まで行って、滝を眺めて少し涼んでから、バスに乗って日帰り温泉「源泉那須山」に寄って、この日1日の汗とホコリをまったり流して帰途についたのでした♪
そして・・・
実は那須岳では電波が届かないので、メールやSNSもチェックできず、宿にTVもなかったので下界に下りるまで全く知らなかったのですが・・・
この登山行の1日目にあたる日に、なんと前の年の同じ時期に同じ山の会のメンバーで行った木曽御嶽山が噴火して大勢の登山者が被害にあったとのこと!
お昼時の噴火、自分たちもお昼を食べた山頂の御嶽山神社付近は壊滅的だとのこと。
今回歩いた茶臼岳も噴煙あがる活火山ですし、本当に人事ではありません。
どうか取り残された方々が一刻も早く救出されますように・・・(>人<)
※今回の木曽御嶽山の噴火は、結局戦後最悪の被害となってしまいました。
なくなられた方々のご冥福をお祈りします。。。