ちょうど「激暑」の日が続いていて、この日もカンカン照りの日差しでアスファルトの上が暑い~!
東京メトロ銀座線虎ノ門駅の出口11は虎ノ門交差点に面した文部科学省の敷地に出てくるのですが、その地上に出る直前の半地下くらいの場所に、江戸城外堀の石垣展示室があります。
以前、別ブログの記事で紹介したこともありますが、この展示や、同じく文部科学省の中庭その他この敷地内にある石垣展示がなかなかによくて、虎ノ門近辺に行ったときの、ワタシのお気に入り場所になっています。
特に、半地下で外とつながっているせいか、風が通って結構涼しい♪
で、時間も余裕があったので、陽射しを避けて涼みながら、次の行き先にどういう経路でいこうか
と考えながら、ぼぉ~っと見るともなしに展示パネルを眺めていたら・・・
溜池落口。そういえば歌川広重の「名所江戸百景」に「虎ノ門外あふひ坂」という絵があって、そこに描かれている滝?が、この溜池落口じゃないかという説を読んだことがあるけど・・・
そんな目でさらに案内板を見ていくと、今いる虎ノ門駅の出口11が「現在地」の赤丸なので、溜池落口は現在の特許庁の手前くらいか・・・?
ちょうど次は有楽町線に乗るために桜田門に行こうか有楽町まで歩こうか、とも考えていたところだったので、え~い、溜池落口経由で外堀通りを歩いて赤坂見附=永田町まで歩いちゃえ☆
ということで、のこのことまた炎天下に繰り出してしまったのでした。
たぶん、地図からすれば、この写真や絵は現在の虎ノ門三井ビルの下に残っている櫓台跡あたりや虎ノ門三井ビルと商船三井ビルの間くらいから、特許庁方向を見たものだろうと思われます。
でも・・・
特許庁のそばまで来ても、結局凡人なワタシの目には「あふひ坂」どころか、「坂道」のような土地の高低差がわかりません~(ToT)☆
溜池に向って右側、霞ヶ関ビルの裏手方向は、確かに土地が上がっていて、坂道があります。
しか~し!
向って左側、アメリカ大使館方面は土地の高低差がないようにみえます。
そのさらに先は上り坂(霊南坂)なんですが。。。
溜池落口(のあった場所)を確認することが出来ず、なんだかな~、とちょっぴりがっかりしながら溜池交差点を越えて、なおも外堀通りを赤坂方面にのこのこ歩いていくと、やがて右手にヘンな形の鳥居が・・・
この、よくある鳥居の笠木の上に合掌のような破風のついた変わった形の鳥居は、山王日枝神社の鳥居です。
「山王鳥居」または「合掌鳥居」ともいって、大山咋神を祀るお社に用いられる特徴的な鳥居で、日枝神社や日吉大社などにみることができるのだそうです。
で、この日枝神社は外堀通りからぐっと上がった高台にあるのですが、参道の階段の脇になんとエスカレーターがある~!
・・・いや~、目的が果たせなかった上に暑くてへばっていたところだったので、うれしいったらありませんwww
エスカレーターを上まであがると、いかに神社が回りに比べて高いところにあるか、よくわかります。
後ろを振り返って外堀通りを見下ろすと、この通り。
せっかく来たので、それではお参りをば・・・(-人-)
この山王日枝神社は、文明10年(1478年)大田道灌が江戸城を築城したときに、川越日枝神社から大山咋神を勧請したのが始まりだそうです。
大山咋神の「咋(くい)」は「杭」のことで、大きな山に杭を打つ神すなわち山の地主神であり農耕(治水)を司る神様とされて、日吉大社や松尾大社でお祀りされています。
江戸時代には徳川家の氏神とされて、日枝神社の祭礼である山王祭りでは氏子町の山車や神輿が江戸城内に入っての将軍の上覧を許されていたそうです。
この山王祭は現在でも神田祭、深川祭とともに江戸三大祭りのひとつとされています。
これは徳川家との関係?と思ってちょいと調べてみると・・・
双葉葵はもともと京都の賀茂神社の神紋で、賀茂信仰の広がりとともに武将たちの家紋の図柄としてとりいれられていったもののようです。
そして賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂別雷大神は松尾大社の祭神=大山咋神とされています。
・・・だから、ここの神紋も双葉葵なのか~☆
しっかりご朱印もいただきました。双葉葵の図柄が緑色で素敵♪
神社の境内には立派な藤棚があって、その下にベンチが並んでひと休みできるようになってるんですが、なんとミストシャワーがある!
めっちゃ暑い日ざしの中日干しになりかけてたので、さっそく涼んでひとやすみ~☆
日枝神社のお使いの猿殿も日なたでめっちゃ暑そうでござる・・・☆
しばし都会のオアシスでぼよよ~んとアタマと足を休めた後、また酷暑の日なたへ。。。
当初目的の永田町駅まで行かなくちゃ☆
山王日枝神社の表参道(男坂)の急な階段を下りて、参道前の緩やかな坂道を北に下った先の交差点。
右に折れると、まっすぐ国会議事堂に向って上る山王坂。
反対側は、日比谷高校に向う上り坂・・・
そして両方の坂道・・・というか岡にはさまれた小さな路地を北上すると永田町駅に到達するはず。
それにしても、どうも先ほどの交差点は岡と岡にはさまれた窪みか谷間のような地形になってるんですね。
ちょうど日比谷高校のグラウンドと議員会館に見下ろされながら、その間の堀底をうねうねと歩く・・・そんな変な感じの道です。
特に議員会館の門の前は、あまり人通りのない道にもかかわらず警備が物々しい!
そんな中スマホ片手に時々立ち止まっては写真撮ったりツイートしたりしてるワタシは、十分不審者(笑)
そしてその「堀底道」は永田町の駅に向って急な上り坂になります。後から永田町駅前の道路案内板を見たら「三べ坂」という名前がついていたらしい☆
どうにもこの道が「もしかして堀だったんじゃないのかな」と気になって、家に帰ってから古地図と現代地図を重ね合わせた「時代マップ」で見てみたら、この道は古地図にそのまま載っていました。
ということは、江戸時代からあった、堀ではないけれど古い道だったということで。。。
日比谷高校は岡部筑前守の、議員会館側は安部摂津守の、お屋敷で、その間をこの道が通っていたようです。
・・・にしても、なんでこんなに掘り下げて道をつくっていたのかなぁ。やっぱりワタシには空堀にしか見えない(^^;)
しかし、ちょっとぶらぶらしただけでいろいろ発見できちゃったりして、やっぱお江戸っていいかも♪
特に、暑い夏の江戸歩きに山王日枝神社の藤棚ミストシャワーでのひと涼みは、ちょっとオススメスポット発見でした~!