2017年1月30日

寒川神社

今年は年始めからなぜか、武蔵総社の大國魂神社、伊豆国総社だったともいわれる伊豆国一之宮の三嶋大社、と図らずも各令制国の中心的なお宮参りづいてるな~と思っていたら、なんと相模国一之宮寒川神社の近くでの所用が勃発☆
これは・・・なんとか時間を作ってお参りするっきゃありませんね~!
というわけで、JR東海道線茅ヶ崎駅から乗り換えて、初めてのJR相模線で3駅。
最寄りの宮山駅には大きく「寒川神社 下車駅」と書かれた看板が掲げられています。
  

駅自体はちっちゃな無人駅なのですが、さすがに最寄り駅のせいか、寒川神社に参拝するとみられるお客さんがぞろぞろと降りていきます。

ワタシも三々五々とばらばらに歩いて行く人たちの後にくっついて、のんびりのこのこ5~10分ほど歩いて行くと、やがて神社の鳥居と太鼓橋が見えてきました。

寒川神社の三の鳥居と神池橋です。
一応、神様がお渡りになる橋ということで脇に迂回路があるのですが、実は思い切り普通に渡れます(^o^;)
三の鳥居を潜ると、古社らしく両側に鬱蒼とした大木が茂る中を、参道がまっすぐ奥へとつづき・・・
やがて左手に手水舎が見えてくると、木々が開けた広場の先に神門が現れます。
・・・普通の門と違って、門になにか飾られている?
  
これは迎春ねぶた。2001年から、新春の約1ヶ月間のみ神話にちなんだねぶたが飾られるようになり、今年は「因幡の白うさぎ」。夜にはライトアップもされているのだそうです。

それにしても、なんでねぶたなんだろうなぁ(笑)
いよいよ神門を潜って中に入ると・・・思ったより広い! そして思ったより本殿大きい!
お参りしてる人がめちゃ小さく見えます☆


それもそのはず。この記事の始めにも書いたとおり、寒川神社は相模国一之宮。

寒川神社が鎮座しているのは相模湾から7kmほど遡った低台地上。
古代にはすぐそばまで相模湾が入り込んでいて、神社から8km上流の海老名市国分あたりに相模国分寺があったという場所です。

境内の案内板によれば、今から1600年前の雄略天皇の時代に奉幣されたとのことで、「延喜式神名帳」にも「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列しているのだそうです。

また、鎌倉時代の「吾妻鏡」にも「一宮佐河大神」と記載があって相模国の一之宮とされていたようですし、源頼朝から神馬の奉納があったり後北条氏や徳川幕府から社領を認められたりと、相模を支配した武将からの尊崇が篤かったようです。

特に武田信玄が行軍中に参拝して、自身の纏っていた兜と太刀を奉納したと伝えられていて、その兜が神奈川県重要文化財に指定されて、神社内の資料館に展示されているとのことで、めっちゃびっくり!!

資料館は神社のさらに奥の「神嶽山神苑」の中にあるので、今回寄っている時間がありませんでした・・・残念(TT)

せめて古の武将たちに習ってしっかりお参りして・・・
戻ろうと思って東回廊側を振り向くと、なんじゃこりゃ?

実は寒川神社は、古くから全国唯一の八方除の守護神として信仰されているのだそうです。

八方除というのは、地相・家相・方位・日柄等から起こる、つまり方位神による、あらゆる災いを取り除くご祈願のこと。

で、この写真に写ってるのはその八方除にちなむ方位盤・方位を司る四神の彫塑・天体の運行を測定する渾天儀(こんてんぎ)を組み合わせた記念碑だということです。
なるほどなるほど。

ということで、今度は御朱印をいただきに大きな社務所の隣の小さな納札所へ。


これが寒川神社の御朱印。金字の「八方除」の文字と青い「ハマゴウ」という植物の絵が入って、「御朱印について」の説明書きとともに、とてもカラフルです♪
そして、納札所のそばの南門から外に出るのですが、この南門、平成5年(1993年)に今の神門が竣工される前の、元の神門を移築した物だそうです。
今の神門に比べると、かなりコンパクトかも。


南門の外には数件の売店。さっそく甘酒を買って丸木のベンチでひと休み。
ふぅ~、いいお参りができました♪ って、本来の目的の用事を忘れないようにしなくちゃ!(^^;)


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