2013年8月22日

じいちゃんの事故

そろそろ仕事も片付けモードに入ろうかな・・・と思い始めた19時ごろ、急にケータイが鳴り出しました。

今ごろ、誰だろ・・・と思いながら出てみると、切羽詰ったばあちゃんの声。。。

「今まだ仕事?おじいちゃんが事故起こして前の家に突っ込んだから、これから一緒に救急車に乗っていくからね!」




なんですて~?!


「前の家」までは通りと空き地をはさんで30mほど距離があり、またその空き地も駐車場代わりになっていて頻繁に車が出入りしているので、普段からじいちゃんを始めみんなトロトロとしか車を走らせない場所なのです。

でも、ばあちゃんの口調ではどうも結構な事故だったらしい。。。

状況がよく飲み込めないままに、あわてて「とにかくすぐ帰るから、病院がわかったら連絡ちょうだい!」と電話口に叫び、仕事は放り投げて帰途に着きました。


とはいっても、
職場から家までは2時間弱かかる長距離通勤者。
いくらあわてても、そこまではやく着けるわけもなく。

電車の中でいらいらしていたら、そのうちばあちゃんから私がいつも使っている駅のまん前にある救急病院に入った旨連絡があり、駅から走っていってみると・・・


・・・診察の終わったじいちゃんがすたすた歩いて出てきた!

検査と診察の結果どこにも異常がなく、結局ひざの切り傷と打撲だけで済んだんだとか。
入院の必要もないということで、よかったよかった!

しかーし!

次の日に現場を見たら、これですぜ☆




家の庭の駐車スペースからまっすぐ通りを横切り、よその車が停めてある間を30m近く突っ切ってフェンスをなぎ倒しタンクを破壊して壁に突っ込んだ、という。。。

幸いなことにフェンスとタンクがクッションになってくれたものの、壁は見事に向こう側にずぼっとめり込んで、中のユニットバスまでみごとに被害にあってました。

あとでじいちゃんに聞くと、家の庭にバックで車を停めようとして前後に行ったりきたりしてるときに、前に少し進んだ車を止めようとしてブレーキのつもりで踏んだのが、実はアクセルだったんだそうな。

でも、それで本人の意に反して通りに向かってびよん!と進んじゃったもんだから、びっくりして急ブレーキを思い切り踏んだつもりが、引き続きアクセルの上に足があるもんだから、あとはご想像通り勢いよく前の家に突進。

ものすごい音がしたそうで、びっくりしてご近所中飛び出してきて救出したり介抱したり救急車や警察に通報したり・・・とみんな総出でやってくださったそうで。

あとで全部お礼に回ったんですが、みなさん口々にもうだめかと思ったと、本当に打撲と縫わなくてもいいくらいの切り傷くらいの怪我ですんで、奇跡だとおっしゃってました。

それよりもなによりも、通りに車や通行者がいなくて本当によかった!
物損は直すことができるけど、誰かに怪我でもさせてしまったら、取り返しがつかなかったですから。。。

ニュースでよく、今回のアクセルとブレーキの踏み間違いのような、判断力の低下が原因と見られる高齢者の事故が報じられていますが、じいちゃん本人も家族もあまり自分のこととして考えたことがありませんでした。

反対に、車がないと生活できないような地域なので、判断力や身体能力が低下しているなとは思いつつ目をつぶっていた部分もあります。

車も一発で廃車になりましたし、じいちゃんは今回の事故を契機に免許返上です!

が、これからなにをするのも、ちょっと畑にいくことすら不便になるので、これからどうしようか悩み中です・・・いろいろ考えさせられたじいちゃんの事故騒ぎでした。






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2013年8月4日

呼ばれてしまった・・・?山村代官屋敷 ~西・山の会 下見行3~


さて・・・
40人引き連れての登山ツアーの下見は、1日目に連れて行く奈良井宿、清滝・新滝、2日目の登山口、宿泊施設と温泉、病院、お土産購入やトイレ休憩のための施設確認、全行程大型バスで支障ないかどうか等々・・・

滞りなく確認終わったね~やれやれ!

と言い合っていたら、下見メンバー4人組のひとりのくまちゃんがぽつりと「で、2日目雨降って登山できなかったときにはどうする・・・?」

んむむむ-!下見先は登山ができる前提の正規日程に沿ってしか考えてなかったよ~☆

でも、確かに降られたときに困るよね!というわけで、急遽旅行雑誌や道々GETしていたパンフレット類を広げて作戦会議。

見たら、御嶽山の麓の木曽福島あたりでも、地元の博物館、資料館とか郷土館、地元ゆかりの島崎藤村記念館もあるし、木曽義仲の里ということで関連の史跡なんかも結構あるね~。

と、リーダー格のけーこさんと私とでばばばばっと「義仲館」を中心にピックアップして、じゃ今回は予定もしてなかったし時間もないので、施設の中には入らないまでも、外観とか大型バスの道路アクセス状況とか料金とかだけでもチェックしとこうか、と動き始めたら・・・

山村代官屋敷も行かない? と、ピックアップの中に入っていなかった施設を言い出すくまちゃん。

山村代官屋敷というのは、約280年木曽谷を守ったお代官様のお屋敷跡です。




石垣をめぐらした門構えはなかなかのものです。
それでも、「代官屋敷」というほど大きなお屋敷でもないな~と思いながらバスが停められる場所を確認しつつ、門の中へ。




門を入ると右側にあずまや、左側にはちょっと由緒ありげなお稲荷さんの祠。

あまり気にも留めずに石畳をたどって玄関へ。
ここもフツーによく見られるような規模の玄関を入ると奥へと伸びる廊下がみえます。

料金とられるし時間もないので、当初予定通りここで車に戻ろう、と踵を返しかけたところで・・・


くまちゃんが、「中、見ていかないの・・・?」


え?ここには何か見どころでもあるの?そんなに見たかったの?と聞いても、当人は「いや、何となく・・・」

他のところではそんなこと言わないのに、ここだけやけに何でだろ?といぶかしく思いながらも、しゃーないね、じゃ、リクエストを聞きますか、と入り込みました。

展示や説明を見ると、実は山村代官屋敷ととして現在残っているのは、もともとのお屋敷の本の一部で、写真の図面のうち白い四角で囲ってある部分だけなのだそうです。

それだけでも資料館となるくらいの広さはあるんですけど(汗)




つまり、もともとの屋敷は相当!の広さがあったということ。

それもそのはず、この代官屋敷の主である山村氏は、関が原の戦いの際に徳川秀忠の先陣をを務めた功により木曽谷の徳川直轄支配を任される木曽代官となり、以後約280年間、良木を産する木曽の山々の支配と中山道四大関所のひとつ福島関所の関守をかねることで、強大な権力を誇っていたそうです。

そんな木曽代官の権力を垣間見れるのが、この饗応料理!
安政年間に、参勤交代で中山道を通る大名たちをもてなした料理を、日記を元に再現したレプリカだそうです。




江戸時代の、しかも木曽は山の中なのに、伊勢えびやハマグリや鯛がある!
車も冷蔵庫もない時代に、どうやって運んで、保存してたんでしょ?




また、写真斜め左上の箱にある「御氷餅」は凍み豆腐のことで、専門の製造所で作られて尾張藩主や将軍に献上されていたのだそうです。 




尾張徳川家をはじめ、参勤交代で木曽を通る大名たちは、その石高により膳の数は違うものの、「必ず!」これらの膳で饗応されなければならないことになっていたそうです。

そのことで、木曽には莫大な代金が落ちてくるとともに、大名たちの力を削ぐねらいもあったようですね☆


こちらは「築山泉水式」のお庭。
木曽駒ケ岳を借景にしているそうなんですが・・・残念ながら見えませぬ~☆




こちらは12代目山村良祺の書斎「看雨山房」。
ふすまにまで書画がいっぱい(笑)




室町時代の文明3年(1471年)銘の備前長船則光の刀も飾ってありました。
明治4年(1871年)の廃藩置県で山村氏の支配権は剥奪されてしまったそうですが、この刀はご子孫に守り刀として伝わっていたようです。




さて、あらかたササッと見終わったので帰ろうか~と言い出し始めたところに、この代官屋敷の職員の方?が来て、「せっかくいらしたんだから、しあわせになるものを見せてあげる」

こっちへいらっしゃい、と言われてぞろぞろとついていくと、小さな部屋の中に観音開きの扉のついた厨子が祭壇のようにして置いてあります。

なんでも、山村家は「木やり」を歌う狐に守られているという伝説があったのだそうです。
それで、門を入ってすぐのところに、江戸時代に建立されたというお稲荷さんの祠があったわけなんですが。

明治になって屋敷を取り壊した際に「白狐のミイラ」が発見されて、しかも横にぺたっと寝て発見されるのが普通のところ、このミイラは床下の柱に寄り添ってきちんと座っている姿だったので、これは山村家を守っていた狐にちがいないということで、大事に祀っているそうです。

で、「普段はお見せしてないんですけど、特別ですよ」と扉をサッと開けていただくと・・・

うわぁ、確かにちゃんと座ってる!これはすごい~☆
しかも、後から見たら、なぜか写真とれてないミステリーだし・・・(><)

でも、運がよければ拝見することができて、シアワセを持ち帰れるのだそうです♪
そっか、くまちゃん、お狐さまに呼ばれてたんだ。きっと登山ツアーもうまくいくね!




*<おまけ>*******

上諏訪温泉の片倉館は、片倉財閥の代表者で片倉製糸紡績㈱社長の二代片倉兼太郎が創業50周年を記念して建てた、昭和3年(1928年)主運行の洋風建築温泉施設で、現在でも深さ1.1mの「千人風呂」で有名ですが、なんと浴場、会館、渡り廊下の3棟が国の重要文化財に指定されてるそうです。

帰りに寄ってみました☆











ということは・・・重要文化財のお風呂に入れるんですね!
レトロな建物やお風呂を楽しめますし、屋上から諏訪湖も望めて、オススメです(^^)/


2013年8月3日

スピリチュアルな山、木曽御嶽山 ~西・山の会 下見行2~

さて、下見ご一行、いよいよ木曽御嶽山エリアに入ってきました♪

さすが山岳信仰の山だけあって、御嶽山の上へと続く道の傍らには御嶽信仰に関わりのありそうな石碑群が山のようにつづいてて、白装束の人たちがいっぱいいます・・・

本番の時は2日目に王滝口の田の原登山口から登ります。

この田の原登山口にへ向かう、御嶽山の3合目付近に「清滝(きよたき)」と「新滝(しんたき)」があります。

清滝は、古くから滝行が行われることで知られています。

昔、御嶽山に登るには「百日精進潔斎」(100日間修業をし、身を清める)をおこなわなければ、登拝は許されないという厳しい伝統があったそうです。

今でも、夏になると滝にうたれる信者さんの姿を見かけることができます。

宿も田の原登山口の近くにとったので、1日目は宿に行くまでの道中でこの2滝によれるかな~☆
ということで、下見をすることにしました。


これが清滝。




清滝は道路から割りとすぐの場所にあります。

道路に沿った駐車スペースにはバスが何台も。そのほとんどが観光客というよりは水行の信者さんたちのバスです。

そばまで行くと、高さ30mもあるので壮観かつ厳かな感じです。
滝のそばには神社と滝行のための更衣室があり、滝つぼのあたりは平らにならされていて、行者さんたちが滝に打たれて修行を行うことができるようになっています。

私たちが行ったときも、ちょうど行を終えてバスの方へ下ってくる行者さんたちのご一行と何組もすれ違いました。


さて、清滝の先のこーんな急な階段を上っていき、木の間がくれに清滝を見ながらところどころ石敷きの見える細い山道を上っていくと、山の尾根に出ます。




この尾根を越えた次の谷に下りれば、そこに今度は新滝があります。

新滝も清滝同様、修行場となっています。





私たちが行ったときには、すでに行者さんたちは一人もいませんでした。

が、ちょうど滝に陽が差し込んで、虹のかかった滝つぼを眺めながら滝のミストシャワーを浴びていると、身も心も洗われるよう。

しばし、山の霊気を感じながら、厳かな気分で滝を眺めていました。


さて、この木曽御嶽山登山本番のときには、この3合目くらいにある清滝・新滝からさらに上の、田の口から登っていきます。




これが田の口登山道の入り口です。




木曽御嶽山の最高点、剣が峰は標高3067m。
この標高2180mの田の原から登っていったとしても、標高差1000m近くを登っていかなければなりません。


左の写真の奥に映っているのが、剣が峰の頂。

・・・あそこまで上っていくのかぁ~(・・;)

そして、この山全体が「御嶽神社」でもあるので、この田の原の鳥居をくぐった登山道=参道というわけで、一般の登山客だけでなく白装束の行者さんたちもこの道を剣が峰の「頂上奥社本宮」まで登っていくのです。

私たちが田の原にいる間にも、何組もの行者さんたちが登山を終えて下りてくるところに出会いました。

ちなみに、本番では行きませんがもうひとつの登山口の黒沢口にも行ってみました。

こちらはロープウェイがあって、降りるとすぐに7合目です。




ロープウェー駅の屋上展望台には無料の足湯があって、、登山客や行者さんたちが景色を一望しながら疲れた足を癒すことができます。

この日は雲がかかっていてあまり眺望がきかなかったのが残念でしたが・・・☆





写真は7合目にある行場山荘です。
登山道がこの山荘を突っ切っていくような形になっているので、行きかう行者さんたちがここで足を休めていきます。

それだけではなくて、この山荘は名前のとおり、裏手が修行場になっていて、私たちが行ったときにもちょうど滝行を行っている人たちがいました。


途中に行場があって、滝行を行ったり登拝している行者さんたちを目の当たりにしたせいか、木曽御嶽山は信仰の山、スピリチュアルな山だなぁ・・・と実感です。

やはりなんか軽々しい気持ちで登っちゃいけないような感じがして、普通の山とは違う心持で登らなきゃな~、と思った次第でした。。。


やってきました奈良井宿! ~西・山の会 下見行1~


地元のお友達に誘われて参加しだした地元の小さな山歩きの会「西・山の会」。


年に2回、春と秋の山登り例会と、無事な下山を祝う「飲み会」くらいの活動の、本当にお気楽な会なので、考えてみたら最初に参加してからもう4年くらい経っているかも。。。

毎回参加しているので、だんだん常連さんたちとも顔なじみになってきたかな~、なんて思っていたら、ついに今年の秋の例会は幹事を仰せつかってしまったー!

やば・・・ついにきたか☆

まぁ、1人でやるわけではなくて、いつも誘ってくれるお友達も一緒に4人で幹事をやるので、多少気は楽なんですが・・・

それにしても毎年春の例会は日帰りだけど、秋は1泊でそれなりの山に行っていて、この秋はすでに行き先が前任の幹事さん権限で決まっていて、なんと「木曽御嶽山」・・・



木曽御嶽山~?3000m級のお山じゃありませんか~!

そこに大型バスをしたてて40人くらいの人数を連れて行くという・・・ちょっとしたツアーガイドなみのことをしなくちゃならないというわけで。

これはちゃんと下見をして行程をセットしないとやばいよね、ということで幹事4人で車を飛ばして下見にいくことにしました。



前泊で現地に入って、山自体には2日目の早朝から登るので、1日目は移動日。

・・・だけでは面白くないので、お昼ごはんは途中の奈良井宿で散策がてら済ますのがいいんじゃないか、ということでまずは奈良井宿へ。

奈良井宿は中山道六十九次の34番目、木曽路に入ってからは江戸側から2番目の宿場で、江戸時代「奈良井千軒」といわれるほどにぎわっていた様です。

現在でも重要伝統的建造物群保存地区として、当時の町並みが保存されています。

まずは国道19号線沿いにある「道の駅奈良井木曽の大橋」に車を止めて、「木曽の大橋」を超えて奈良井宿へ。

この「道の駅~」は、普通あるような商業施設はまったくありません。
だから、どうみてもただの「木曽の大橋見学用駐車場」(笑)

新しいつくりではあるものの、橋脚を持たない太鼓橋としては日本有数の大きさと総ヒノキ作りの美しさを誇る「木曽の大橋」を堪能するにはいい場所です。

・・・が、大型バスを駐車するには狭すぎるし、奈良井宿までは多少歩くなぁ・・・

と思いながらのこのこ歩いて橋を渡り、芝生の広場を横切って線路際の道路を歩いていくと・・・大型バスでも楽~に停まれそうな広い駐車場と国道から入ってこれそうな広い道♪

これならまずバスの駐車と案内はOK~!

次に線路下のガードをくぐり(なぜか水路もいっしょにくぐってる!)、反対側に抜けるとそこはJR東海中央本線奈良井駅のひなびた駅舎。




その駅のあたりが奈良井宿、江戸寄りから「下町」「中町」「上町」と分かれたうちの最も「下町」になります。

ここから先、奈良井川に沿って約1kmの中山道沿いに町並みが続いています。

ここでの今回の私たちの最大のミッションは、例会当日40人のご一行様をここにご案内して散策してもらうための下見と、お昼ご飯の確保!なのですが・・・




うっわぁ~、すごいすごい!タイムスリップしたみたい☆

さすが、重要伝統的建造物群保存地区。
人が住んで手を入れてる家であっても、昔の町並みを保存したり再現したりして残しているので、その昔の宿場町ってまさにこんなだったんだろうなぁ~という、まるで時代劇の中にいるような感じです♪

軒先の佇まいまでこの気配り・・・!





生まれてはじめての奈良井宿。思わず興奮して、当初の目的を忘れてあちこちうろうろ見てまわっては写真をばしばし撮りまくり・・・

・・・はっ!と気がつくとほかの3人がいな~い?




ありゃりゃ、もたもた写真を撮ってるあいだにみんなどんどん先に行っちゃったのかしらん?

あわてて下町を通り抜け、周りを行きかう観光客の間を探しながら中町を走りぬけ、ついに見つけられないまま中町と上町の境目の「鍵の手」まで来てしまった・・・

やばい、これは完全に迷子だわ。。。☆

連絡をとろうとスマホをとりだしたらそこへ3人のうちのひとりのくまちゃんからLINEが・・・「いったいどこにいるのー!(怒)」

実は、私が写真に現を抜かしている間に、くまちゃんたちは着々と使命を果たすべく、途中のお店に入って、40人分のお昼ご飯の交渉中とのこと。




ごめんなさーい(><;)

あわてて指定された場所にとんでいくと、まさにけーこさんとくまちゃんがお店のおばさんに交渉中☆

なんでも例会本番の9月末ごろの奈良井宿は観光客で非常に混むので、観光案内所で教えてもらった40人入れそうなお店はことごとく予約お断りされてしまったとのこと。

で、2人の交渉中、私ともう一人の同行者のなかやまさんはお店の外でぼぉ~っと待つことしばし・・・

ピースサインのけーこさん登場!

予約OK!だけでなく、団体旅行だからといろいろお願いして、本当はお店のメニューにはない組み合わせのセットメニューを作ってもらって、しかもその「試食」ということで、少人数なのに特別にそのメニューを出してもらうことになったという~♪

これが、その特別メニュー。。。



おそばに五平餅、小鉢も3つついて1200円なり!
味もなかなか悪くない・・・ってか、五平餅の胡麻味噌と蕗味噌がめちゃ美味しい!

お店の2階の座敷も確保してもらい、これで例会1日目の観光1ヶ所目とお昼ご飯の確保もできてまずは一安心~☆

ここでのミッションはひとまず終わったので、とりあえずさくさく車にもどるぞ!
・・・となったんですが、え~、生まれてはじめての奈良井宿、もったいないじゃないですか???

と、私がごねまして、寄り道をしてもらうことに。しかも私のチョイスで。
迷子になったうえ、ほとんどお役に立ってないのに、なんてわがままなヤツ(笑)


で、まずは「マリア地蔵」さまをたずねて、宿の中ほどにある大宝寺へ。

一応「拝観料100円」となっていますが、「受付」には誰もいません・・・

自分で箱に100円入れて、パンフレットを持っていくようになっています。

私たちも100円入れて本堂の裏手へまわると、いらっしゃいました、「マリア地蔵」さま。

残念なことに頭部がなくなっています。
胸に赤子を抱いているので「子安地蔵」のようですが、その赤子の顔もよくわからなくなっています。

だた、その赤子の持っている蓮の茎の先端が十字架の形をしていて、その先に花と蕾がついています。


昭和7年に竹やぶの中に埋もれて放置されていたのが発見されたということで、隠れキリシタンとの関係はよくわからないようなのですが、この蓮の十字架から「マリア地蔵」さまとよばれているようです。


次にまわったのが「二百地蔵」。

もと来た道をJR奈良井駅まで戻ってきたところで、ひょいっと高台に続く道の入り口に「→旧中山道杉並木・二百地蔵」という立て札があります。

その立て札に沿ってぐいっと坂道をあがること300メートルほどで・・・

あったー!杉並木♪




舗装のされていない山道の両側に直径50cm以上はありそうな杉の並木が続いています。
これが旧中山道だということです。

奈良井宿は中山道木曽路11宿の中で一番標高の高いところにあり、当時の街道も山々に囲まれていたので、山の奥に向かって鬱蒼とした杉並木が続いていく様子は、江戸時代の中山道もこんな感じだったんだろうなぁ、と想像させます。

・・・が、実際の「当時の面影を伝える」雰囲気のあるのは、写真に写っているこの部分だけ!です(^^;)

日光杉並木や箱根旧街道くらいずっと続いていたらよかったのに。。。

と、ちょっぴり残念に思いながら、こんどは杉並木の脇に広がる「二百地蔵」へ。

うわ、壮観・・・!




奥に地蔵堂があり、その前に200体近くの石仏が(ちゃんと数えてみました!)鎮座ましましています。

案内板によると、これらの石仏はもとからここにあったものではなく、明治期に国道や鉄道を通すにあたって奈良井宿周辺から集められてきたもののようです。

だからなのか、これらの石仏は「二百地蔵」といいながらもお地蔵さまがあまり見当たらず、聖観音や千手観音・如意輪観音といった観音さまの像が多く、スタイルや表情も様々です。

さて、杉並木と「二百地蔵」を堪能して、八幡宮の裏手から境内に入ってお参りをしてたあと、八幡宮の狛犬をひょいっとみて、びっくり☆




片方の狛犬の足の間に、赤ちゃん狛犬がいる~!

察するに、社殿に向かって右側の「阿形」の狛犬がおとーさん、左側の「吽形」の赤ちゃん連れ狛犬がおかーさんなのでしょうか♪

でも、赤ちゃんのいる狛犬って、はじめて見ました(^^;)



人生発奈良井宿(笑)だったので、本当は上町の先にあるという石垣や枡形、街道の石畳も含めて、もっとじっくりゆっくり回りたかったのですが、今回は目的が観光ではなくて「旅行の下見」(忘れてたけど・・・笑)なので、これ以上はわがまま言わずに奈良井宿を後にしました(T^T)。

下見はこの後、病院、宿泊施設、と問題なくこなして、次はいよいよ秋の例会のメインになる木曽御嶽山周辺の下見に入っていきます。。。   (続く)



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