2017年3月4日

のんびりまったり修禅寺~ばあちゃんと伊豆旅行その1~

昨年末にじいちゃんの一周忌も終え、年明け2ヶ月経ってばあちゃんも日増しに元気になってきたので、梅でも見がてら一緒に温泉でも行こうか~☆という話になりまして・・・

そんなに遠出はしたくないけど、行くならやっぱり暖かい方向だよね・・・ということで愛車を飛ばして伊豆に出かけることにいたしました。

圏央道と東名道もつながって、その上伊豆縦貫道もだいぶ延びたので、本当に埼玉と伊豆は近くなりました!
途中、足柄SAでみかんの詰め放題やっても3時間で修善寺温泉に着いちゃった♪




修善寺温泉は古い温泉街で駐車に苦労する、ということだったのでしっかり事前リサーチして、温泉街の中心地にある修禅寺のそばの「何時間置いても400円」のパーキングにすんなり駐車♪




修善寺温泉は伊豆半島で最も歴史がある温泉です。
上の写真は筥湯(はこゆ)。修善寺に幽閉されていた鎌倉幕府二代将軍 源頼家が入浴中に北条氏の刺客に襲撃された温泉だと伝えられています。

なので、頼家のお墓や、頼家の冥福を祈って母である北条政子が立てた指月殿など、他にも源氏ゆかりの史跡が多く残っているとのことです。


修禅寺川(桂川)にかかる赤い虎渓橋の向こうには、平安時代に弘法大師が開いて地名の由来にもなったという修禅寺。

脇に立てられたお堂の中には一対の優しげなお姿の仁王様(金剛力士像)が納められています。


この金剛力士像、もとは現在の修善寺駅に近い横瀬という場所にあった修禅寺の総門を守っていたものが、いつのころからか指月殿の丈六釈迦如来坐像の両脇に安置されるようになり、さらに平成26年(2014年)に山門の改修工事が終わって修禅寺にご遷座されたとのこと。

解体調査の結果で鎌倉時代よりもさらに古い、全国でもまれな藤原時代の作であると判明されているそうです。

山門をくぐって境内に入り、右手にお水屋。


・・・お水が暖かい!なんと温泉が流れています☆
よく見ると、水屋の上に「桂谷霊泉 大師の湯」の文字が。しかもこのお水は飲めるのだそう!さすが温泉地(^^;)

暖かい霊泉で手と口を清めたら、まずは本堂にお参りです。


修禅寺は正式な名称を「福地山修禅萬安禅寺」といいます。
大同2年(807年)弘法大師によって開創と伝えられ、以後470年間は真言宗として栄えたそうです。

その後、鎌倉時代に中国から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師の入山により、臨済宗に改宗。さらに室町時代の延徳元年(1489年)に伊勢新九郎盛時(北条早雲)が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)禅師を遠州石雲院から招いて、曹洞宗に改宗して現在に至っています。


こんな経緯があったためか、曹洞宗のお寺のご本尊は普通は釈迦如来なんですが、この修禅寺は宗旨が真言宗だった時そのままに、ご本尊は大日如来。
像内から、運慶らと同じ慶派で東国で活躍したと思われる仏師 実慶が承元4年(1210年)に作った旨の墨書が発見され、国の重要文化財に指定された木造大日如来坐像です。


寺務所でいただいた御朱印も、よくよく見ると大日如来の文字。
ただし、残念ながらご本尊は本堂の須弥壇に安置されていて、年に1度の特別拝観期間(例年11月初旬)にしかお目にかかることはできません☆

さて、お参りをすませて本堂のとなりの方丈を見ると、看板に「期間限定!女将のもちより雛と修禅寺庭園特別鑑賞」の文字。


入口の受付の方に「庭園は年2回しか見れないのよ!」「お雛様を見ながらの抹茶がいただけるのよ!」「このイベントは今日までなのよ!」と強く!オススメされて、それなら~と中に入ってみました。。。


すると・・・方丈の各部屋いっぱいに約400体の雛人形がずらり!




雛人形は、修善寺温泉の女将さん達が持ち寄ったもので、雛展の準備から飾り付けまで、すべて女将さん達の手作業だそうです。



今から12年前に修禅寺で行われた「もちより雛展」がきっかけで、毎年2~3月の1ヶ月ほどの期間に開催されるようになったイベントなのだとか。



お雛さまの調度品も小さくてかわいいながら、ひとつひとつ見事だなぁ~!と思わずじっくり見入ってしまいます。。。



中には、ご当地らしく「北条政子」のお人形も☆


方丈はご住職の生活の場も含んでいるので、普段は非公開です。

よって、方丈の庭園ももちろん非公開なのですが、実はこの庭園、大正天皇が東宮(皇太子)だった明治40年(1907年)にこの庭園をご覧になって、「東海第一の庭園である」と仰ったという名園なのです。


こちらがその庭園。裏山との高低差を生かしたつくりになっています。
写真では奥のほうにちょろっとしか写らなかったんですが、庭の奥の方に達磨山から引いた自然の水の流れ落ちる勇壮な滝があって、ちょっと感動的です♪



庭園を正面から見たところ。
この庭の正面に位置するのが、特別な来訪者がご住職に相見する「書院の奥の間」で、
座った位置から見る庭園が一番すばらしいとのこと。

部屋の前に大きな安楽椅子が置いてあったのですが、案内の方によると、このお寺の御前様(ご住職?)はこの椅子に腰掛けて日がな一日庭園を眺めるのが大層お好きなのだそうです。


池の周りには、長寿を象徴する「鶴石」「亀石」「鏡岩の富士」が配されています。
ぱっと見、どれがどれやらわかりません(笑)

次の写真で答えを見ると・・・「亀石」はなんとなく亀の形に見えるかな?
奥の「鏡岩の富士」は鏡岩の表面の窪みの形に富士を見る・・・う~ん☆
「鶴石」は石の色の違いや凸凹で何通りかの鶴を見る。もう何がなにやらwww



ちなみに、庭園の特別公開は春のこのイベント時と秋の年2回なのですが、方丈の中から見れるのは春だけなのだそうです。

その代わり、秋は庭の中に入って見ることができるようですよ!
苔や庭木が多少荒れるということで、庭の中に入っての拝観は庭師さんはあまり好まないようです。あの見事なお庭の維持は大変なんですね☆


そんな庭園を見ながら、お抹茶をいただくことができます。
床にかけられたお軸が「喫茶去」なのが、とても禅宗のお寺らしいです。


低いテーブルと椅子に座って、お盆に乗せて運んでいただいたお茶とお菓子を、気取らずにゆっくりといただくことができました。


方丈でゆ~ったりとした時間をすごして外に出ると、境内の桜の大木が早くも花盛り。


「修善寺寒桜」という桜だそうです。
よく見かけるソメイヨシノよりは、さらにピンクが濃い感じ。花の盛りは例年3月中旬ということですが、今年は2週間ほど早いとのこと。



さてさて、ゆっくり修禅寺を堪能したところで、ほどよくお昼時になったので、これまたリサーチしておいたお店「めし屋 みづ」へ。

ネットで見かけた「花車弁当」を目当てにして行ったんですが、和食系のお店と思っていったところが創造よりもアンティーク?なお店にちょっとびっくり☆


お弁当のほうはこのボリューム!ご飯は黒米、五穀米、白米の3種類。たっぷりのお汁とデザートがうれしい♪

修禅寺はやたらにお蕎麦屋さんがヒットしてお昼ご飯に悩んだ中で、このお店はヒットでした(^^)v

車に戻るためにまた修禅寺の前まで戻ってきて、修禅寺川(桂川)の川原を見ると、川の中の岩の上になにやら東屋が。


弘法大師空海が大同2年(807年)に修善寺を訪れたときに、独鈷杵で川中の岩を打ち砕いて霊泉を噴出させたという伝承の、独鈷の湯です。

ずいぶん以前に修善寺温泉に来た時には、確か入浴している人がいたように記憶してるんですが、現在は「法律上の浴場ではない」ということで入湯は禁止されているとのこと。


ですが、東屋の中に人がいるので行ってみると、みな靴を脱いで足をつけて「足湯」にしていました☆

さっそくワタシとばあちゃんも足をつけてみました。温度もちょうどよく温かくて気持ちいい~!

ですが、ちゃんとした「足湯」ではないので、周りの石がでこぼこしていて座りにくく、ばあちゃんが座り損ねて足を滑らしてじゃぽん!

足湯は川原を望む別の場所にもちゃんとあるので(しかも無料)、入るならそちらのほうが安全かも(笑)

修善寺をさくっと堪能したあとは、宿をとっている弓ヶ浜温泉へ。



途中立ち寄った浄蓮の滝は、駐車場からこんな急な階段を谷へと降りたところにあります。階段では息を切らした高齢の方に多く出会いましたが、これは足腰が弱ってるとかなりキツイです!


浄蓮の滝は落差25m、幅7m。冬季の乾燥している季節なのでもっと水量がないかと思っていたら、結構迫力。
そして、滝の右下の柱状節理がはっきりくっきりと美しい~!


滝のそばには石川さゆりの「天城越え」の碑も。
そういえば、浄蓮の滝が歌詞に出てたっけ。

その後は歌詞のとおり天城峠を越え、ループ橋をぐるぐると回り降り、早咲き桜で有名な河津まで来たら・・・海が見える~!


海なし県の住民は、海にめちゃめちゃ感動しながら宿に到着。
その日一日の行程を終えたのでした。 →(2日目に続く)


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2017年1月30日

寒川神社

今年は年始めからなぜか、武蔵総社の大國魂神社、伊豆国総社だったともいわれる伊豆国一之宮の三嶋大社、と図らずも各令制国の中心的なお宮参りづいてるな~と思っていたら、なんと相模国一之宮寒川神社の近くでの所用が勃発☆
これは・・・なんとか時間を作ってお参りするっきゃありませんね~!
というわけで、JR東海道線茅ヶ崎駅から乗り換えて、初めてのJR相模線で3駅。
最寄りの宮山駅には大きく「寒川神社 下車駅」と書かれた看板が掲げられています。
  

駅自体はちっちゃな無人駅なのですが、さすがに最寄り駅のせいか、寒川神社に参拝するとみられるお客さんがぞろぞろと降りていきます。

ワタシも三々五々とばらばらに歩いて行く人たちの後にくっついて、のんびりのこのこ5~10分ほど歩いて行くと、やがて神社の鳥居と太鼓橋が見えてきました。

寒川神社の三の鳥居と神池橋です。
一応、神様がお渡りになる橋ということで脇に迂回路があるのですが、実は思い切り普通に渡れます(^o^;)
三の鳥居を潜ると、古社らしく両側に鬱蒼とした大木が茂る中を、参道がまっすぐ奥へとつづき・・・
やがて左手に手水舎が見えてくると、木々が開けた広場の先に神門が現れます。
・・・普通の門と違って、門になにか飾られている?
  
これは迎春ねぶた。2001年から、新春の約1ヶ月間のみ神話にちなんだねぶたが飾られるようになり、今年は「因幡の白うさぎ」。夜にはライトアップもされているのだそうです。

それにしても、なんでねぶたなんだろうなぁ(笑)
いよいよ神門を潜って中に入ると・・・思ったより広い! そして思ったより本殿大きい!
お参りしてる人がめちゃ小さく見えます☆


それもそのはず。この記事の始めにも書いたとおり、寒川神社は相模国一之宮。

寒川神社が鎮座しているのは相模湾から7kmほど遡った低台地上。
古代にはすぐそばまで相模湾が入り込んでいて、神社から8km上流の海老名市国分あたりに相模国分寺があったという場所です。

境内の案内板によれば、今から1600年前の雄略天皇の時代に奉幣されたとのことで、「延喜式神名帳」にも「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列しているのだそうです。

また、鎌倉時代の「吾妻鏡」にも「一宮佐河大神」と記載があって相模国の一之宮とされていたようですし、源頼朝から神馬の奉納があったり後北条氏や徳川幕府から社領を認められたりと、相模を支配した武将からの尊崇が篤かったようです。

特に武田信玄が行軍中に参拝して、自身の纏っていた兜と太刀を奉納したと伝えられていて、その兜が神奈川県重要文化財に指定されて、神社内の資料館に展示されているとのことで、めっちゃびっくり!!

資料館は神社のさらに奥の「神嶽山神苑」の中にあるので、今回寄っている時間がありませんでした・・・残念(TT)

せめて古の武将たちに習ってしっかりお参りして・・・
戻ろうと思って東回廊側を振り向くと、なんじゃこりゃ?

実は寒川神社は、古くから全国唯一の八方除の守護神として信仰されているのだそうです。

八方除というのは、地相・家相・方位・日柄等から起こる、つまり方位神による、あらゆる災いを取り除くご祈願のこと。

で、この写真に写ってるのはその八方除にちなむ方位盤・方位を司る四神の彫塑・天体の運行を測定する渾天儀(こんてんぎ)を組み合わせた記念碑だということです。
なるほどなるほど。

ということで、今度は御朱印をいただきに大きな社務所の隣の小さな納札所へ。


これが寒川神社の御朱印。金字の「八方除」の文字と青い「ハマゴウ」という植物の絵が入って、「御朱印について」の説明書きとともに、とてもカラフルです♪
そして、納札所のそばの南門から外に出るのですが、この南門、平成5年(1993年)に今の神門が竣工される前の、元の神門を移築した物だそうです。
今の神門に比べると、かなりコンパクトかも。


南門の外には数件の売店。さっそく甘酒を買って丸木のベンチでひと休み。
ふぅ~、いいお参りができました♪ って、本来の目的の用事を忘れないようにしなくちゃ!(^^;)


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2017年1月8日

3館合同展示回りのおまけで善得寺跡&三島大社

昨年4月に富士市立博物館が富士山かぐや姫ミュージアムとしてリニューアルオープンしたことを受けて、今回初めて共通テーマを設けて、三島市郷土資料館、沼津市明治史料館、富士市の富士山かぐや姫ミュージアムの、3館それぞれの企画展を同時期開催することになりました・・・

・・・という情報をキャッチしたので、成人の日の連休の1日を使って3館一気に回って展示を楽しんだのですが(3館展示の様子の記事はコチラ!)、その時にちょっと寄り道なんかしちゃいましたので、その様子についてもご紹介♪

●ちょっと寄り道・・・善得寺跡


富士山かぐや姫ミュージアムでぽちぽちと展示の様子をTwitterにつぶやいていたら、静岡のフォロワーさんから「近くなので行ってみたら」と勧められたのが、現在は小さな公園となっている善得寺の跡。


善得寺は天文21~23年(1552~1554)にかけて成立した「甲相駿三国同盟」に際し、武田信玄・北条氏康・今川義元の三人が会談したとされる「善得寺会盟」でその名が知られています。

そのためか、公園内に「三国同盟の庭」として三国にちなんで駿河・甲斐・相模産の石が庭石として並べられています。


ただし、現在では三人が直に「会盟」したことは疑問視されていて、義元を補佐する太原雪斎の働きかけによって武田氏・北条氏それぞれの重臣が協議を行い、当主の合意が得られた結果の婚姻・同盟、と考えられているようです。

善得寺のパンフレットに書いてある伽藍の想定範囲を現在の地図に落とし込むと、赤丸が歴代墓のある現在の善得寺公園、黒線で囲った部分が元の寺域。


天文年間には塔頭10、末寺18という河東一の大伽藍でもあったということがうなずける、ものすごく広大な寺域です!

善得寺は、太原雪斎が天文4年(1535)に住持に入ったというゆかりの寺院でもあるので、もしかしたら三国の重臣たちがこの善得寺で実際に雪斎の働きかけで「会盟」したのかもしれませんね☆

ちなみに・・・ワタシ的には緑の線で印した根方街道(旧東海道が整備される以前の古代~中世の古道)をしっかり押さえる位置にあることが、ひそかにツボでした(*^^*)


●お昼ご飯はあなごの天丼!


富士・沼津と一気に展示を見て回ったら、すっかりお昼を過ぎてしまって、空腹MAXだし沼津で降り始めた雨はだんだんひどくなるし・・・で、とにかく三島市郷土資料館の近くでなにか食べられないかなと見回すと、楽寿園三島駅口のすぐ前のアーケードに「あなご天丼」という看板。

あなごは結構好きなので、迷うことなくお店に入って、カウンター前の小さなテーブルに座って名物「あなご天丼」を注文しました。



出てきたのが・・・どど~ん!

どんぶりからはみ出してピンと立っている特大のあなご天ぷら!そして野菜の天ぷらもいっぱい乗って、ボリュームたっぷり☆

これ、食べきれるかな~と一瞬ひるみましたが、食べ始めると天ぷらはさくっと軽く揚がっていて、たれも甘めで美味しくて、結局気がついたら完食してました(*^^*)

「お食事処みしまや」さん、また三島に行くことがあったら行きたいお店です♪





●三島大社


富士、沼津、三島の3つの博物館企画展示をじっくり見終わって、満足満足・・・
したところで、せっかく三島まで来たので伊豆国一宮の三嶋大社にお参りしましょ~♪

・・・と、ここで改めて気がついた。富士・沼津は駿河国だったんですが、三島って伊豆国だったんですね!
しかも三嶋大社の近くには伊豆国の国府があったとされています・・・というか、三嶋大社の「三嶋」は伊豆大島・三宅島等からなる伊豆諸島の尊称「御島」に由来するといわれていて、主祭神の「三嶋大神」は伊豆諸島の開拓神なのだそうです。

むしろ、三嶋大社があるので地名も「三島」になったとか。
「伊豆」のイメージはどうしても伊豆半島になってしまうので、三島に国府があるのはなんとなく現代人には違和感なのですが。。。

というわけで(?)、とにかく雨も強くなってきましたが、傘をさして伊豆国一宮たる三嶋大社にお参り。




本当は途中の池に浮かぶ厳島神社などちゃんとお参りしなきゃですが、あまりに雨がひどいので神様に心の中でゴメンナサイしながら総門へ。
総門の注連縄、太くて立派!

そのまま脇目も振らずに神門まで。
本当は途中に「源頼朝・北条政子の腰掛石」頼朝が源氏再興を祈るため百日間の日参をしたおりに休息した石とか、毎朝神様を乗せて箱根山に登ったという神馬を祀った神馬舎とか、見どころはあったはずなんですが(^o^;)


神門を潜って、天然記念物の百日紅も舞殿もスルーして本殿にお参り。
写真にはちゃんと本殿の見事な彫刻が写ってるんだけど、目には入ってなかったなぁ・・・



それでも社務所でしっかり御朱印はいただきました☆



あまりに寒かったので、三嶋大社の門前で揚げたて熱々のご当地みしまコロッケを買ってほおばって・・・
美味しすぎて写真撮るの忘れた~!(><)

そして、これまた門前のうなぎ屋さんで「当店限定」のご当地グルメ「うなぎ鯛焼き!」
うなぎ屋さん特製たれのしみこんだ鯛焼き形のご飯の中に、しっかりたっぷりうなぎの蒲焼きが入ってて、うまうま~♪

あ、これも美味しすぎて写真取り忘れ(汗)


そして、しっかり地元のお酒屋さんで地酒「三島恵比須」も買って帰りました♪



何はおいても、お酒はぜったい忘れないのが、なっちクオリティでした(笑)

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