2015年9月23日

伊達政宗も愛でた白萩 ~あきる野市 大悲願寺~

秋のお彼岸法要で、西多摩の方にある我が家の菩提寺へ。
法要を終えた後、お墓の方に詣でながらふと見ると、お寺の石垣に萩の花がちらほら。




そっか、そろそろ萩の花も見ごろになるかな?

それじゃあせっかくだから、と菩提寺から10分ほどにある、萩の花で有名な大悲願寺へちょっと足を延ばしてみました。

あきる野市にある金色山吉祥院大悲願寺は、寺伝によると創建が鎌倉時代初期の建久2年(1191年)。武蔵国平山(現在の東京都日野市平山)の武将で鎌倉幕府の元老として活躍した 平山季重 が醍醐寺三宝院の僧を招いて開山したとされ、江戸時代も幕府から朱印状を与えられていたという古刹です。




あきる野市の指定有形文化財になっている楼門(仁王門)の前に続く参道には、秋らしく彼岸花が咲いています。

仁王門を潜って境内に入ると、「無畏閣(むいかく)」と呼ばれるお堂があります。





「無畏閣」は江戸時代の寛政6年(1794年)に建立された建物で、軒先に廻らされた極彩色の彫刻が、なんとなく日光東照宮を思わせるような見事さです!

これは、地獄と極楽の様子。




これは閻魔様と地獄の光景です。
あまり上手に撮れてないところが難ですが・・・(^o^;)




この「無畏閣」には、平安末期から鎌倉時代にかけての作といわれる、国指定重要文化財の木造(伝)阿弥陀如来三尊像(阿弥陀如来・千手観世音菩薩・勢至菩薩)が納められているそうです。

ご開帳は年1回(4月)なので、この時期はお姿が拝見できないのが残念です☆

さて、「無畏閣」にお参りしたあと、右手の方に進んでいくと・・・





元禄8年(1695年)建築で東京都有形文化財に指定されている、本堂。
そして、伊達政宗も愛でたといわれる有名な白萩が植えられているのは、この本堂の周辺です。






・・・ちょっと、見ごろをはずしたかな(^o^;)

この大悲願寺には、伊達政宗公とのつながりを示す文書(白萩文書)が残されているとのことで、庭の説明板に次のように示されていました。

「伊達政宗 白萩文書
仙台藩主伊達政宗が大悲願寺に宛てた書簡である。当山十三世住職海誉上人の時代で、たまたま政宗の末弟秀雄(しゅうゆう)が上人の弟子として在山したという。また政宗は川狩りを好んだともいわれる。内容は先日訪問した折、庭の白萩が見事であったが、その白萩を所望したいという趣旨である。年次は「政宗公実記」より元和9年(1623)と推定される。」




説明板の上の方には、「白萩文書」の写真も掲示されています・・・が、よ、読めない☆

これまた文書に書いてあることを説明版から抜粋しますと、「~ 先度は参り、会面を遂げ本望に候。 仍無心の申す事候へども 御庭の白萩一段見事に候き所望致し候。 先日は申し兼ね候て罷過ぎ候、預(使いの者に)候はば忝かるべく候 ~」とあるのだそうです。

現代語に訳すと「~ この度は寺を訪れて、お会いできて満足でした。その上にお願いしたいことがあるのですが、お庭の白萩が一段と見事だったので分けていただけないでしょうか。先日は言い出せなくて帰ってしまいました。使いの者に預けていただけるとありがたいです。 ~」というようなことでしょうか。




これだけの白萩、確かに盛りの時にはさぞや見事なことでしょうね♪
政宗公は弟君に逢いにいらして、白萩がたいそうお気に召したということなんですね☆

しかし~確かに鎌倉時代からの古刹ではあるものの、なぜ伊達政宗公の弟君が、江戸からも遠い西多摩のあきる野市にある大悲願寺に13世住職の弟子として在山していたのかギモンではありますが・・・(^^;)




ちなみに、東京都指定文化財の大悲願寺文書に含まれている過去帳には、15世住職秀雄が没した寛永19年(1642年)7月26日の条に「法印秀雄、俗生は伊達大膳大夫輝宗之二男、陸奥守政宗ノ舎弟也」とあるそうです。

また、伊達政宗公が没した寛永13年(1636年)5月24日の条には「奥州住 伊達陸奥守権中納言従三位藤原政宗 左京大夫輝宗之嫡子 沙門秀雄兄」とあって、この寛永13年当時の住職は秀雄であったようです。

ということで、いきさつはよくわからないのですが、政宗公の弟君がこの大悲願寺にいたことは確かなようです。

そして、そもそも「政宗公の弟」というのは、母親に溺愛されて伊達家を二分しかねない状況から、秀吉の小田原攻めの直前に政宗に惨殺されたという「小次郎君」しかいないはずなので、「秀雄=小次郎」で、実際には小次郎君は殺されずに出家して密かに大悲願寺に匿われていたのではないかという説も・・・!?




「実は小次郎君が生きのびていた」なんてことが史実だとしたら、なんかうれしいな・・・などと歴史のロマンを感じた白萩のお花見でした☆