2015年8月2日

浅草寺観音様発祥の地?!岩井堂

埼玉県飯能市と東京都青梅市の境、成木川に沿った道沿いに「浅草・浅草寺観音発祥の地 岩井堂観音」という看板があります。

地元なので、買い物などでこの脇をよく車で通るのですが、気にはなるもののそばに車を停める場所がない!

ので、これまで1回も行った事がなかったのですが、さすがに「浅草寺観音発祥の地」が気になって・・・ちょっと離れたところに多少の時間だったら駐車できそうな場所を見つけたので、意を決して(?)行ってみることに。




車から見ている分には、観音様は岩の上に鎮座されるのだろうし、左の階段を登っていくのだろうと思っていたら、看板をよく見ると→で「階段下る」

え~!この急な階段を下るのか?!確かに幟はずっと続いているけど・・・





階段を降り切ると、そこはもう成木川の水面がすぐ近くに。

そして、岩を回る幅の狭い道が今度は上に向って・・・え?今度は登るの~?!
確かに、上を見上げるとお堂らしき建物が・・・☆




登ってみると一宇のお堂。

立看板に書いてある「浅草観音生誕地 岩井堂縁起」によると、「およそ1400年前、一人の旅僧がもたらせた観音像が嵐により転落し、成木川から浅草浦へ流れ着いた後、漁師の網で海上げされた観音像が岩井堂観音であるという口碑伝承が実を結び、昭和八年九月十五日 浅草観音の御分身として聖観音像が岩井堂に奉還された。」とのこと

浅草寺の縁起は、浅草浦付近で漁をしていた漁師兄弟の網に金色の仏像がかかって、兄弟が土地の識者の勧めにしたがってお堂を設けて像を安置したことが始まりだそうな。

それで、岩井堂の方の郷人はその話を伝え聞いて、件の仏像は岩井堂から流された観音であると信じて、代々その返還を求めていた模様。

うーん、確かに成木川は入間川経由で隅田川に続いてるから、大暴風雨によりお堂とともに押し流された仏像が流れ流れて浅草までたどり着く、というのは全くないわけでもないのか・・・

その昔(といっても江戸時代くらいまで)、奥武蔵の木材は入間川を筏で流して江戸まで運んでいましたしね☆

それで、浅草寺の方からは本堂の観音仏の分身として聖観音像が奉還されて、めでたしめでたし♪
ただし、その御分身の聖観音像がこのお堂におわすのかどうかは、扉が固く閉ざされていて全くわかりませんでした☆



さて、一応参拝もしたことで、帰り道は?とみると、「転倒・滑落注意」の立て札とと、いかにも足元の悪そう~な上に向かう道が・・・



この岩井堂のある場所というのは大きな一つの岩場になっていて、この細道の階段もその岩を削って作っているのですね~!
段が急だし、狭いし、苔でヌルツルしていて、気を付けないと下の成木川に落ちちゃいそうです☆

ちょっと登ると、もうお堂が目の下です。そして・・・




岩のてっぺんまで登るとこの景色!
川の向こうに広がる丘陵地までよく見渡せます。ここでお弁当ひろげたら気持ちいいだろうなぁ~♪



ここからは素直に下りれば、元の道路際の階段を下りることになります。
ぐるっと一周お堂と岩登り。ちょっとびっくりな縁起を持つ、地元の隠れ(?)スポットでした♪