2014年11月3日

秩父札所めぐり3日目(第26番~第34番で満願!)

9月に一気に1番~25番の札所を回ったものの、その後行くヒマがなくて続きに行かずに放置してしまっていた秩父札所の午歳総開帳めぐり。

ご開帳期間は3月1日~11月18日なんだけど、ふと気がついたらもう終了が目前じゃないか~!!!

やおらお尻に火がついてしまったので、あわてて久しぶりに札所めぐり再開です(^^;)


<第26番 萬松山 円融寺(岩井堂)>

円融寺は秩父鉄道影森駅からほど近い山すそにあって、こちらで恵心僧都の作といわれるご本尊の聖観音像にお参りすることができます。

この観音像は、もとは円融寺奥の院の観音堂「岩井堂」に安置されていたものを、麓の円融寺に移したのだそうです。

だから、江戸時代の巡礼道もそこまで通っているとのこと。これは奥の院までちゃんと行かなきゃですね~!





円融寺を出て山沿いの道を左手方向に(あちこちに案内板があるのでその通りに)進んでいきます。これもすでに巡礼道の一部。くねくねうねって続いていく風情にどことなく古道っぽさが残っていて、とてもご機嫌な道です♪





そのまま進んでいくと、道はやがて昭和電工の秩父工場に入って行きます。
奥の院まで行く人が多いのか、親切に、工場の前に「奥の院へお出掛けの方は工場構内をお通りください」と書いた看板をかけていただいてます。

・・・が、はっきりいって工場のゲートを通るときの守衛さんたちの視線に、ちょっとビビります(笑)

構内に入ってまっすぐ行くと、やがて琴平神社が見えてきます。
巡礼道は、この琴平神社の右脇をまっすぐ山に登っていきます。





巡礼道の傍らには道しるべ石。元禄~宝永の頃に建てられたもので、秩父札所をつなぐ江戸巡礼古道のところどころで道を示しています。

そして、道はいよいよ山道に。

朝一番(といっても8時半くらい)に登ったので、こんな神々しい木漏れ日に迎えられました!
神域ならではの厳かさです。。。





そして、朝っぱらからいきなりキツイわぁ~☆という石段をせっせと登り切ったその先に・・・




見事な懸崖作りのお堂が、ば~ん!
京都の清水寺を模したともいわれる観音堂(岩井堂)の舞台です。

江戸中期の建築で、回廊つきの三間四面のお堂がしっかりと岩場の斜面に組み込まれています。
だから、お堂の背面はそそり立つ岩場。そして背後の岩壁とお堂の間には石仏さんたちが並んでいます。





お堂の舞台に立つと周囲の景色が一望の下・・・と言いたかったのですが、杉の木立に阻まれて眺望はいまひとつかな。。。

でも本当に山の「気」が清々しくて気持ちよかったです。
そのせいか女性が数人、舞台で太極拳かなにかの気合?を発しながら朝日を浴びていました☆





ご朱印は岩井堂ではなくて、円融寺の方でいただけます。




<第27番 龍河山 大淵寺(月影堂)>

岩井堂から「琴平ハイキングコース」を尾根伝いにたどっていくと、やがて大きな岩にちいさな案内?が貼り付けられているのに出くわします。

「この岩場をのぼる」???

傍らをみると岩をよじ登れるように鎖がさがっている!

で、首をかしげながらも岩をよじのぼっていくと・・・



 


大きな観音様がいらっしゃった~!

これは、大船と高崎の観音様とあわせて「関東の三大観音」として親しまれているという、麓の第27番札所大淵寺所有の護国観音像。

岩井堂からの尾根のピークのひとつにあって、ここからは秩父盆地から荒川沿いにさかのぼった影森(卒業ソング「旅立ちの日に」のふるさと)あたりの景色が一望の下に見渡せます。




よくよくみると、右の方に見えるのは札所めぐり1日目の記事でも触れた、秩父公園橋か?!

そして、この観音様の足元からひょい!と下を見ると、麓の大淵寺のお堂の屋根が・・・




もともと、大淵寺の聖観音像はこの護国観音像のあたりにあったというお堂に納められていたのだそうです。

月影清らな場所にあるということから「月影堂」という名のついたこのお堂は、江戸末期に大淵寺の境内に移ったということで、一気に麓におりてお参りです☆

境内から見上げる護国観音像。はるか上の方~♪





大淵寺の境内には、年間渇水することのない自然の湧き水で、この水を飲むと33ヶ月長生きすると言い伝えられている「観音菩薩恵みの延命水」も流れ出ています。

うーん、33ヶ月かぁ・・・(^^;)





ちなみに、大淵寺の山門前には、江戸時代の上影森村の名主が私財を投げ打って作ったという「影森用水」の跡も残っています。

村内に井戸が2ヶ所しかなく飲料水にも困っていたのが、この用水のおかげで作物を作るにも非常に恩恵を受けたという影森用水。

この溝がそれらしいのですが・・・はて☆





そして、第27番大淵寺のご朱印と蓮華シールがこれ。総開帳の判はお堂の名前にちなんで「月影」ですね~♪




<第28番 石龍山 橋立堂>


さて、27番大淵寺の前の道の傍らを見ると、古い巡礼道の道しるべ。

この道しるべをたどって1.5kmほど行くと、第28番橋立堂にたどり着くことが出来ます。






橋立堂の背後にそびえる岩壁は、石灰岩採石で有名な武甲山からの尾根続きになります。

ということは、この岩壁も石灰石。
県の天然記念物にもなっている橋立鍾乳洞は橋立堂の庫裏の脇から入るようになっていて、そちら目当ての観光客も結構訪れているようです。

何を隠そう、ワタクシめも実は小学生の頃に遠足やキャンプで何回も鍾乳洞に来ているという☆




観光客が多いせいか、久しぶりに来たな~と思っていたら、境内に新しくおしゃれなコーヒー専門店が増えている~!

ついついコーヒーの香りに惹かれて(ちょうどひとやすみしたい頃合でしたし~☆)入ってみると、靴を脱いで上がる「小上がり」の席の方が多いスタイル。

たまたま履いていたのがトレッキングシューズで、脱ぐのが面倒だったので、お店外の席でこのお店イチオシのスペシャルティコーヒー「淡雪」をいただくことにしました。

これが「淡雪」。グラスの氷の上に乗ったかき氷にメープルシロップとスペシャルティコーヒーを順番に注いで、かき氷とアイスコーヒーを一度に味わうスタイルです。






時間はそんなに余裕ないのに、結構またーりとコーヒーを楽しんでしまいました。
コーヒー自体も美味しいお店でした。

というわけで、第28番橋立堂のご朱印と蓮華シールはこちら。

秩父・西国・坂東の百観音霊場のうち馬頭観音がご本尊なのはここともう一ヶ所ということもあって、総開帳の判は馬でした~!

午年総開帳ですしね♪



<第29番 笹戸山 長泉院(石札堂)>

秩父鉄道浦山口駅から札所第29番石札堂までは、巡礼古道が道端の石仏ともども風情を残しつつ続いています。

そんな古道の傍らに残る古い道しるべ。

「ひだり二十九番」と書いてある裏側に「みぎ二十九番」と書いてあって笑。





このお寺の参道入り口にある枝垂桜は花の時期にはとても見事だそうです。





このお寺の境内はとても綺麗な庭園に整備されてるのですが、ふと見ると、その境内に置いてある灯篭に葵の御紋が・・・?

あれ?と思って胴のところに刻まれている文字を見ると、「増上寺」の文字。
こんなところにも増上寺の灯篭が来ていたんですね~!





というわけで、第29番石札堂のご朱印と蓮華シール。総開帳の判は山号の「笹戸山」にちなんでるんですね♪



<第30番 瑞龍山 法雲寺>


境内に入ると、ここにも増上寺の灯篭。いったいどのくらいの灯篭がちらばってしまったんだろうなぁ・・・と思いながらお堂にお参りをしようと石段を上がっていきまして・・・






祈願塔にかかっているお手綱で観音様にご縁を結んで、ふと見ると祈願塔に笠がかかってる!
・・・と笠を見ながらそのままお堂の屋根に目を移すと、そこには北条三鱗紋が~!!!

そういえば境内のあちこちに三鱗紋があるけど、なんで?

調べてみたら、この法雲寺も第15番少林寺と同じく臨済宗建長寺派なのですね。
ということは、この三鱗紋は建長寺の寺紋からきているのでしょう。





で、法雲寺のご朱印と蓮華シールです。総開帳の判は・・・なんだろうこれ?



<第31番 鷲窟山 観音院>


観音院は山号を「鷲窟山」というだけあって、標高698mの観音山の中腹に建つ、秩父三十四ヶ所霊場の中で最も難所なお寺です。

この観音寺の奥に日尾城という、秩父における後北条氏の甲斐武田勢に対する第一防衛線として重視された山城があるのですが、今回の目的は城攻めではないのでパスするとして・・・






まずは道路沿いの岩殿沢にかかる橋を渡ると、やたらに仁王様がシースルーな山門が。
この仁王様、実は石造りで、丸彫りの石造り仁王像としては日本最大なのだそうです。

山門をくぐったとたんに、クマーの注意札(><)
やっぱりこの辺りは山の中なので、出るんですね。今年は特に山の木の実が不作らしいですし。。。





そして、札の先には延々と続く石段。

ただし、ところどころに踊り場があるタイプなので一気に直登するタイプの石段を登るよりは、段数があっても楽かも。

石段の脇にはずっと芭蕉の句碑が並んでいるので、何だろう~と見ながら登るのも気が紛れそうです。

そして、ぜーはー言いながら全部で296段の石段を登りきると、そそり立つ岩屋にすぽっと納まった形に建つ観音堂に行き着きます。





そして、観音堂の左側背後には岩屋の崖の上から落ちてくる、高さ60mの聖浄の滝。

この滝には不動明王が祀られていて、明治5年(1872年)の修験道廃止令までは行者たちが水垢離をしていた場所だったそうです。

そして、聖浄の滝の左手の岩壁には、多くの仏像がうっすらと彫られています。




「鷲窟磨崖仏」として県の史跡に指定されている、この十万八千体とも言われるほどの数の石仏群は、弘法大師が一夜で彫りあげたという伝説があって、別名「爪彫り千体仏」とも呼ばれています。



この観音堂を今度は右手に回っていくと、東奥の院の方へと石段がさらに続いています。

登りきったところで、畠山重忠の家臣が矢を射とおしたという岩穴があるよ!という立て札が。
現在地より1km先なんて、どこよ~(怒)といいながら、それでも目で追ってみると・・・






こ、この2つの穴かい・・・フツーそんなところまで矢は飛ばないから!(笑)

と、さらに進むと東奥の院です。そこからは観音山や香塚(芭蕉の句碑)などを見ることができます。

そして、東奥の院の裏手?にくるりと回って降りていくと、「畠山重忠の駒つなぎ場」に出ます。





1日目に回った「日本のエアーズロック」第19番龍石寺の岩盤と同じような岩盤にえぐられた、細長い窪みの中に、石仏がずらりとたくさん並んでいます。

立て札には「ひづめの跡がある」と書いてあったのですが・・・どれがそれやら、さっぱりわかりませんでした☆

だいたい、そもそもこんなところまで畠山重忠が馬に乗ってきたとかって考えられないんだけどな~!とツッコミも入れてみたくなったりして(笑)





第31番観音院のご朱印と蓮華シール。甲午歳総開帳の判は梵鐘のカタチ?
たぶん写真の鐘なんだろうけど、なにかいわくがあるのかどうかは見落としてしまいました(^^;)



<第32番 般若山 法性寺>

ハロウィーンの季節柄のせいか、道路端に大小さまざまなかぼちゃを並べたログハウスを横目に見ながら、第32番法性寺に向いました。





奈良時代に行基が開創したという縁起を持つだけあって、法性寺の山門は二層の堂々たるもの。秩父札所唯一の鐘楼門です。

山号は「般若山」だからか、山門の中では上の方から般若面に見つめられています(^^;)






山門をくぐると、いつの時代のものかはわかりませんが、両脇にしっかりとした石垣のある石段がまっすぐ上に伸びています。

石段を上がりきったところの本堂を参拝してご朱印をいただくと、さらにこんな風情のある苔むした山道の石段をえっちらおっちら登っていくと・・・





やがて頭上に、第26番岩井堂と同じく舞台づくりの観音堂が見えてきます。

でも、結構急な登り坂なので、みんな途中でふうふう言ってたりして(笑)





でも、上まで登りつくと石仏様も優しく出迎えてくださいます♪

懸崖造りのため、祈願塔へのお手綱は舞台からこんな感じでかかっています。
こちらの聖観音様は、お舟に乗って手に櫂を持ったお姿なので「お船観音」と呼ばれています。

これは奥の院に「石舟山」の名を持つ巨岩があって、観音様が舟に乗ってこの地に来たという伝説にもよるのかもしれません。






舞台から眺めると、本堂の屋根がさらに下~!☆

そして観音堂自体は裏手にそびえる岩山の岩盤を削って基壇を作り、すっぽりと納まっているかたちなのでお堂と岩壁の間にちいさなお堂や石仏が祀られています。




この法性寺のいちばんの見どころは、本当はこの写真の岩の裂け目をとおった先にある「奥の院」方面です。

岩窟にならぶ石仏群や頂上の「岩船山」の巨岩とその上の青銅の岩舟観音様、岩窟の中の金銅の大日如来様。そして眺望がすばらしいということです。

・・・が、山道が険しくて危険なため、4時で通行禁止となっていました。
というわけで、今回は到着したのが遅く、行くのを断念。残念無念!!(ToT)

これはまた来なきゃいけませんね~☆






で、第32番法性寺のご朱印と蓮華シール、総開帳の判は観音堂の舞台でした♪



<第33番 延命山 菊水寺>

前2つのお寺がそろって山の上の難所で、思ったより時間がかかってしまったので、そろそろ日暮れが近づいてしまったぞ~!

秩父札所めぐりも終盤になるとお寺とお寺の間の距離もかなりあるので、移動にも時間がかかるし、納経所の閉まる時間に間に合うかな~(><)

というわけで、めぐるスピードに巻きの入ってきた第33番菊水寺。




おや?案に相違して山の中ではない。助かった~!

・・・と、思いきや、めちゃくちゃ車が集中していて、駐車場が満杯で停められないという Orz
どうも同じように札所めぐりをしている人たちが、集中してしまうタイミングだったようで。。。

そして、幕についているご紋は、楠正成と同じ「菊水紋」!?

ものの本によれば、「秩父観音霊験記」に赤坂城落城時に楠正成が一人落ち延びた際、追っ手に見咎められて肘に矢をうけたものの、観音経のおかげで痛みもなくその場を逃れたとあるようですが、この菊水寺との関連はイマイチよくわかりません(><)

境内には市の指定史跡になっている「芭蕉の句碑」もありました。これは芭蕉の没後50周忌を期に、江戸時代中期の国学者・建部綾足が建てたのだそうです。

直接の芭蕉関連ではないみたい・・・





そして、第33番菊水寺のご朱印と蓮華シールです。午歳総開帳の判は、やっぱり菊水紋ですね~☆



<第34番 日沢山 水潜寺>

さて、いよいよ秩父三十四ヶ所観音霊場めぐり、最後の第34番水潜寺です!

が、ここにたどり着いた頃には日もとっぷりと暮れてきました。
とりあえずまずはここまでの道中の無事を感謝しつつ観音堂にお参りして、ご朱印をいただきに納経所にまわると・・・






なんとびっくり!建物の裏手まで続く長蛇の列~☆

秩父札所の納経所は原則どこも5時まで(所によっては11月以降4時まで)なので、最後の札所ということもあって、もともと夕方は混んでるようなのですが、その上60年に一度の甲午年総開帳期間のの終盤にさしかかったということもあって、余計に駆け込み需要?が増えているようです。。。

に、してもご朱印いただくのに優に一時間待ちとは・・・(><+)





まぁ、しかたなく列にならんでご朱印をいただき、再度観音堂に・・・

こちらの観音堂は靴を脱いでお堂に上がってゆっくりお参りすることが出来ます。
もちろん、陣内にまで入ることはできませんが(^^;)

このお寺「水潜寺」の名前の起こりは、観音堂の右手奥にある「水潜りの岩屋」にちなんでいます。

この水潜寺は結願寺なので、巡礼を終えた者は岩屋(鍾乳洞)から湧き出ている清水に足を浸しながら岩屋を潜って身を清める「水潜りの行事」を終えて現世に戻るということなのだそうです。

今は竹垣でさえぎられて岩屋のほうには入れないようになっているようですし、この日はすでに真っ暗で写真さえマトモに撮れませんでした(><)が、水潜りの岩屋から湧き出した「長命水」が境内に引かれていて、お水を受けることが出来ます。





この水潜寺は西国・坂東・秩父の日本百観音結願のお寺でもあります。

境内にあるこちらの小さなお堂は百観音の結願堂。

お堂の舞には「お砂踏み」といわれる、百霊場の砂を一ヶ所に集めた場所があって、その上で伝教大師作と伝えられるご本尊の千手観音と、阿弥陀如来と薬師如来を拝めば、改めて百霊場の功徳が得られる、というものです。





で、最後の第34番水潜寺のご朱印。総開帳の判のほかに「日本百番結願」の判もつきました~!


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終わってみると、なんか達成感よりも気が抜けたというか、もう終わっちゃったんだなという寂しさというか・・・

でも、所々見逃した「見どころポイント」もあるし、巡礼古道も歩きたいし、何より秩父巡礼が終わった後に入って疲れを癒すという「満願の湯」にも行ってない~!


甲牛年総開帳はもうすぐ終わってしまうけれど、まだまだ、もう少し楽しめそうな秩父札所めぐりでした♪